西漢演義第一回 秦の軍に勝つも、異人は捕虜となる (勝秦師異人被虜)
趙氏の由来
- 趙の先祖は秦と同姓に発し、造父が周の穆王に仕えて八駿の馬車を御し、徐偃王の乱を鎮めた功により趙の地を賜って趙氏となった。
- その後代を重ね、趙氏孤児の故事を経て邯鄲に都を定め、代々王を称するに至った経緯を略述する。
秦軍の趙侵攻と皇孫異人の捕縛
- 趙恵王五年、秦の昭王は将の王齕・王翦に皇孫異人を伴わせ、十万の兵で趙を攻めさせた。
- 趙は上大夫藺相如の献策により奇兵を伏せ、廉頗が偽って敗走し秦軍をおびき寄せたところを両路から挟撃、秦軍を大敗させて皇孫異人を捕らえた。
- 敗報に激怒した昭王は王齕・王翦を処刑しようとしたが、安国君の取りなしで王齕は庶人に落とし、王翦は降格するにとどめた。
- 昭王は群臣の勧めに従い、いったん兵を退いて講和を図り、弁舌の士牛西を趙へ遣わして国書を送らせた。
趙における和議と異人の処遇
- 廉頗は大勝したが深追いせず軍を退き、捕らえた異人を趙王のもとへ護送した。
- 趙王は異人を斬ろうとしたが、藺相如が「人質として留め置けば秦は攻めてこない」と諫めたため思いとどまった。
- 牛西が持参した秦王の国書を読んだ趙王は、罷兵と和議に応じることとし、異人の身柄は公孫乾の私邸に預けて丁重に監視させることとした。
呂不韋との出会い
- 異人が公孫乾の邸へ護送される道すがら、群衆の中にいた一人の商人がその容儀を見て「奇貨居くべし(これは掘り出し物だ)」と思わず声を上げた。