三藩紀事本末金聲桓・王得仁の乱(金、王之亂)

清に降っていた金声桓・王得仁が江西で反旗を翻し、南昌を制圧して永暦帝に帰順した経緯とその末路を描く。両者は清の巡撫らへの不満から挙兵し南昌を占拠したが、清軍の包囲で城中は飢餓に陥り、順治六年己丑(1649年)に陥落、金声桓は入水、王得仁は磔刑に処された。順治二年乙酉(1645年)以前から順治六年(1649年)までの経緯。

年表(4件)

順治二年乙酉(1645年)以前

  • 金声桓は遼東衛の出身。清軍が遼東を平定した際、一家は捕虜となったが、声桓だけは関内に逃れた。王得仁はもと李自成軍の裨将で、驍勇のため「王雑毛」と呼ばれた。声桓は猜疑心が強く両天秤にかける性格で、軍功により総兵都督同知に累進し、左良玉の後軍に属していた。
  • 五月、左夢庚が声桓らを率いて清に投降。声桓は李自成の降将王体忠と合営し江右攻略を命じられたが、まもなく体忠を謀殺し、その部隊を得仁に代えた。

江右平定後

  • 江右平定後、声桓は大功を立てたと自負し封侯を望んだが、副総兵に留められ得仁の名は列せられず、両者とも不満を募らせた。招撫使孫之獬や江西巡撫李鳳翔・章於天が着任し諸将への統制を強めたことも声桓らの不満に拍車をかけた。
  • 声桓が師事していた僧徳宗はしばしば「二十年後、江右の福力が紅頭の虫に変わる」と予言めいた言葉をかけ、声桓は紅い纓を着けて江西に旗を立てるようになりこれを信じた。徳宗や幕僚の胡以寧・胡澹・陳大生らは謀反を勧め、得仁の邸宅で郭子儀・韓世忠の故事を演じさせるなど、周囲の期待を煽った。
  • 福州陥落の際、空頭の勅札を持ち帰った者があり、唐王がなお存命との噂も流れ、二将は自信と不満を深めた。江西巡撫章於天は諸将に横柄で賄賂を貪り、宴席で声桓・得仁を氈の外に座らせ「王把総は謀反する気か」と嘲弄、二人は深く恥じた。

順治四年丁亥(1647年)

  • 七月、得仁は建昌へ出兵中、於天からの理不尽な賄賂要求に激怒。八月、建昌より帰還すると声桓に挙兵を勧めたが、声桓は北京に残る妻子のことや、湖南で何騰蛟が敗れた情報を得て逡巡した。
  • 巡按董学成が両家の内情を知り、得仁の侍女を差し出すよう迫ったが得仁は拒絶。この頃、幕僚が偽って唐王の使者を装い、声桓を鎮江公、得仁を維新侯に封じたため二人は大いに喜んだ。

順治五年戊子(1648年)

  • 正月、章於天が富家を掠奪しようと出撃した際、これが実は満州騎兵の動向と連動した粛清の前触れと疑われ、得仁は恐れて挙兵を決意。声桓の妻子が帰還したのを機に、声桓も胡澹らと謀議し、山東・河南への呼応を約すとともに得仁に建昌から進軍させて挙兵する計画を立てた。
  • 幕僚の勧めで得仁は先に省都南昌を制圧して声桓を促す策に転じ、正月二十六日夜、全営に令を発して城の七門を閉ざし、董学成の官署を包囲。翌日、得仁は学成を捕らえて声桓のもとへ引き渡し、声桓は追認する形で辮髪を切り、隆武四年を号して独立を宣言した。学成と副使成大業は絞殺され、満州風の帽子を被る者は射殺、纓帽は山と積まれた。章於天も江中で捕らえられた。声桓は在野の閣臣姜曰広を迎え、一族を都督に、得仁の義弟黄天雷を兵部侍郎、幕客黄人龍を総督とした。

その後の展開

  • 二月、声桓と得仁の間に功を争う齟齬が生じ始める。得仁は九江に出兵し、胡澹は南京急襲を進言したが、声桓は捷報を聞いて得仁を呼び戻した。黄人龍の進言で先に贛州を攻めることに決し、声桓自ら雄州・韶州方面へ、得仁は贛州包囲を担当したが、贛州は堅固で落とせなかった。永暦の年号が伝わり、これに従うことに改める。両広総督李成棟も清に叛いて永明王を肇慶に迎え、王は声桓を昌国公、得仁を新喩侯に封じた。
  • 四月以降、清軍が湖口・九江・南康を次々に落とし、南昌に迫った。声桓の兄成功は清への内応を図るが発覚し処刑される。清軍は南昌を包囲、守将宋奎光の奮戦で辛くも持ちこたえるが、贛州から急遽引き返した声桓・得仁の軍は途上で清軍に襲われ大半を失う。得仁は勝報に驕って伏兵にかかり七里街で大敗、以後は籠城策に転じる。清軍は鎖囲の策で南昌を完全に包囲し、糧道を断った。十月には郭天才の軍も入城したが、まもなく城中で食糧が尽き人が人を食う惨状となった。

順治六年己丑(1649年)

  • 十二月、清軍が再度攻城。正月、声桓の部将湯執中の配下が内応を約し、清の譚泰は得勝門を陽動、実は進賢門から梯を掛けて突入し城は陥落。声桓は池に投じて死し、得仁は捕らえられ磔刑に処された。宋奎光・劉一鵬・郭天才も捕らえられて節を屈せず死んだ。姜曰広は池に投じて死んだ。得仁は乱戦の中で清将譚泰と馬首を並べたが互いに気づかなかったという。声桓は籠城しつつ広東からの援軍を頼みにしていたが、使者呉尊周の上表は窮状を正しく伝えず、事態が急迫してから李赤心・李成棟に救援を命じたものの、赤心は逗留して進まず、成棟は信豊で敗死し、ついに間に合わなかった。