三國志卷六十六 上三國志註表

上表の趣旨

  • 裴松之は、智慧が周く行き渡れば万事が自ら従い、見識が遠くまで及べば物事に見落としがないと述べ、陛下(宋の文帝)の徳が奥深く、日々新たに輝きを増していることを讃える。陛下は経書に通暁して心を玄妙な道理に遊ばせながらも、なお近代の史事に心を向け、興亡の跡を広く観ようとされているとし、その趣旨を先例に総括して後世に教訓を残そうとするものだと述べる。

注釈の方針

  • 裴松之はかつて詔を受け、三国の異同を集めて陳寿『三國志』に注をつけるよう命じられた。陳寿の書は取捨選択に優れ事実も概ね正確であり、近世の優れた史書であるが、簡略に過ぎて脱漏があるとする。
  • そこで詳細を尽くすことを方針とし、旧聞を広く捜し、遺逸を拾い集めた。三国の時代は年代としては遠くないが、事は漢・晋にまたがり、出入り百年に及ぶため、注記が入り組み食い違いが多いという。
  • 陳寿が載せなかった事柄で記録に値するものはすべて採録して欠を補った。同一の事について記述が食い違う場合や、出典が異なり判断できない場合は、並べて抄録し異聞に備えた。明らかに誤りで理に合わないものは、正して誤りを正した。
  • 時事の当否や陳寿の小さな過失についても、自らの見解をもって論評を加えたとする。編纂に着手してから既に一年余りが過ぎ、書写・校正を終えたので謹んで封じて奉呈する、と結ぶ。

結びの言葉

  • 裴松之は謙遜し、絵画は多くの色を用いて模様をなし、蜂蜜は多くの花の蜜を集めて味をなすとの喩えを引き、自らの才の乏しさを恥じるという。力を尽くしたが才藻に欠け、淮南王が食事の間に賦を作った敏才にも及ばず、孔子門下の志高くも粗い作にも及ばないとする。
  • 長く時をかけながら大成を得ず、ただ筆墨を汚すのみで、聖旨に応えるに足らず、責めを塞ぐにも足りないと述べ、恐れ慚愧の思いが深く、淵谷に落ちるかのようだとして拝表し奏聞する。
  • 元嘉六年(429年)七月二十四日、中書侍郎西鄉侯である臣・裴松之がこれを上る。