三國志卷五十三 吳書八 程秉
程秉(德樞)
- 程秉、字は德樞、汝南南頓の人。鄭玄に学び、乱を避けて交州に至り劉熙と大義を論じ、五経に博通した。士燮に長史として招かれ、のち孫権が名儒として礼を尽くして招き、太子太傅に任じた。
- 黄武4年、権が太子登のために周瑜の娘を娶らせた際、程秉は太常代理として妃を呉に迎え、権自ら舟に赴き厚遇した。程秉は太子登に、婚姻は人倫の始めであり《詩》が《関雎》を首とすることを説き、閨房に礼教を尊ぶよう進言した。登はこれを喜んで受け入れた。
- 在官のまま病没。著作に《周易摘》《尚書駁》《論語弼》あり、合わせて三万余言。
徵崇(程秉の附伝)
- 程秉が太子傅であった頃、率更令の河南の徵崇もまた篤学の士であった。呉録によれば、字は子和、《易》《春秋左氏傳》を治め内術にも通じた。本姓は李であったが乱を避けて改姓し会稽に隠れ、耕作しながら志を養った。教える弟子は数人に限り、功を成すことを重んじた。丞相步騭ら交友は皆彼を敬愛した。嚴畯は徵崇の徳と学を推薦し、太子登に召されたが病で拝謁を辞し、東宮の官僚は皆彼に諮問した。享年70で没した。