三國志卷四十二 蜀書十二 許慈

学業と胡潜との確執

  • 許慈、字は仁篤、南陽の人。劉熙に師事し鄭氏学に優れ『易』『尚書』『三礼』『毛詩』『論語』を治めた。建安中、許靖らと交州から入蜀した。同時期、魏郡の胡潜(字公興)も蜀にあり、学問は劣るが祖宗の制度・喪服の礼数には精通していた。劉備は喪乱で衰廃した学業を興すべく典籍を集め、慈・潜を学士とし孟光・来敏らと共に旧文を掌らせた。事務創始期で疑議が多く、慈・潜は互いに争い誹謗し合い、書籍も貸し借りせず杖で打ち合うほど嫉妬した。劉備はこれを憐れみ、宴席で俳優に二人の争いを演じさせ諷刺したという。
  • 潜が先に没し、慈は後主の代に大長秋まで昇進して没した。子の勲がその業を継ぎ博士となった。