三國志卷三十六 蜀書六 馬超

馬超

  • 馬超、字は孟起、右扶風茂陵の人。父の馬騰は霊帝末に辺章・韓遂らと西州で挙兵した。初平三年、韓遂・馬騰は長安に至り、漢朝は遂を鎮西将軍、騰を征西将軍に任じたが、後に騰は長安を襲って敗走した。司隸校尉鍾繇の説得で騰は超を派遣して郭援・高幹を討たせ、超は龐徳に援の首を斬らせた。騰と韓遂の不和後、騰は召されて衛尉となり、超は偏将軍・都亭侯として騰の部曲を領した。
  • 超は騰の部曲を統べた後、韓遂・楊秋・李堪・成宜らと結んで潼関まで進軍した。曹操は賈詡の計で超・遂を離間させ、その軍を大敗させた。超は諸戎に逃れ、曹操は安定まで追ったが北方の事のため東還した。楊阜の進言(超に隴上を奪われる懸念)通り、超は隴上の郡県を糺合して涼州刺史韋康を殺し冀城を奪ったが、韋康の旧吏楊阜・姜叙・梁寛・趙衢らの謀反により冀城に入れず、漢中の張魯を頼った。建安十九年、劉璋が成都で劉備に包囲されているのを聞いて張魯に降伏を密かに願い出た。

馬超の蜀入りと最期

  • 劉備は使者を送って超を迎え、超が城下に至ると成都は震撼し劉璋は降伏した。超は平西将軍・臨沮督・前都亭侯となった。
  • 劉備の漢中王即位で超は左将軍・仮節、章武元年には驃騎将軍・涼州牧・斄郷侯に進んだ。
  • 章武二年、四十七歳で没した。臨終の上疏で「一門二百余口は曹操に誅されほぼ絶え、従弟の馬岱のみが宗家の血食を継ぐ、陛下に深く託す」と述べた。威侯と諡され、子の馬承が跡を継いだ。馬岱は平北将軍・陳倉侯に至った。超の娘は安平王劉理に嫁いだ。