三國志卷二十九 方技傳第二十九 管輅

管輅、字は公明、平原の人(建安十五年生)。容貌は粗野で酒を好んだが敬遠されない人柄で、幼くして天文・星辰を好み、成人して周易・仰観・風角・占相のすべてに精通した占術の達人。冀州・清河郡などで文学掾・従事・別駕を歴任しつつ数々の占例で的中を重ね、正始九年に秀才に挙げられた。自らの骨相から短命を予知し、正元二年の翌年、四十八歳で死んだ。

年表(5件)

生い立ちと才能

  • 管輅は字を公明といい、平原の人。容貌は粗野で威儀に乏しく酒を好み、人を選ばず交わるため親しまれたが敬われなかった。
  • 『輅別伝』によれば、幼少より天文・星辰を好み、鶏や鵠を例に人にも天文の理があると語り、成人して周易・仰観・風角・占相のすべてに精通した。孝・信義を人の根本とし、廉直な浮飾よりも忠孝を重んじ、徳をもって怨みに報いることを旨とした。
  • 十五歳で父の任地の琅邪即丘に学び、詩・論語・易に通じ四百余人の学生の中で評判となった。琅邪太守・単子春に招かれた際、三升の清酒を求めて飲み干し、金木水火土や鬼神の理を論じて衆を圧倒し、「神童」と呼ばれた。

占例(青年期・郭恩兄弟ほか)

  • 父の利漕在任中、躄(下肢麻痺)の病を患う郭恩兄弟の卦を立て、「祖先の墓中に女鬼あり、飢饉の年に井戸に落とされた冤魂」と告げ、郭恩は涙して罪を認めた。『輅別伝』はこの郭恩(字義博)が周易・仰観の師でもあり、後には輅に易を学び直したという逸話を伝える。
  • 広平の劉奉林の妻の重病を「八月辛卯日日中に決着する」と予言し、その通り秋に発病・回復した。
  • 安平太守・王基の卦では「賤婦が産んだ子が竈で死ぬ、床に大蛇が筆を銜える、烏と燕が争って燕が死ぬ」の三つの怪異を告げたが、いずれも精霊の仕業であり凶事の徴ではないと安心させ、後日その通り無事であった。
  • 信都令の家の異変(幽霊の男が矛と弓を持つ幻影による頭痛・腹痛)を骸骨の発掘・改葬で解決し、王基が易を学ぶきっかけとなった。
  • 清河の王経の怪異(流光が懐に入る夢)を昇進の兆しと解き、後に江夏太守となった。

占例(鳥占・風占)

  • 郭恩の家の鳩の鳴き声から来客(老翁が豚と酒を持参)を予言、また矢が誤って女児の手に当たる怪我も告げた。
  • 安徳令・劉長仁の家の鵲の鳴き声から東北で婦人が夫を殺した事件を言い当てた。長仁は鳥の鳴き声を占うことを軽んじたが、輅は宋の襄公の凶兆や周の文王への丹鳥の瑞祥などの故事を引いて反論し、後に的中して長仁を服させた。
  • 列人の典農・王弘直の邸の旋風から、東方から来る使者の凶事(父が子の死を哭く)や後日の左遷を予言、いずれも的中した。

占例(射覆その他)

  • 館陶令から新興太守に転じる諸葛原の餞別の席で、燕の卵・蜂の巣・蜘蛛を器に隠されて射当てる射覆を的中させた。
  • 族兄・孝国のもとで会った二人の客の顔色から凶死を予言し、後にその二人は牛車の事故で漳河に落ちて溺死した。
  • 清河太守・華表に文学掾として召され、冀州刺史・裴徽には安平の趙孔曜の推薦で文学従事となり、鉅鹿従事・治中・別駕を経て正始九年に秀才に挙げられた。

政変予見と晩年

  • 弟の季儒との旅で見た三匹の狸が、出仕の吉兆として的中した。
  • 十二月二十八日、吏部尚書・何晏に招かれ、鄧颺も同席する中で卦を立て、青蠅が鼻にとまる夢を「位高くして畏れられる者は謙譲を守るべし」と諫めたが、鄧颺には「老生の常談」と一蹴された。魏郡太守・鍾毓には天下太平を「四九天飛」の卦で予見し、後の曹爽誅滅で悟らせた。
  • 毌丘倹の墓の前で哀吟し「不出二年で滅族の相」と予言、その通りとなった。清河太守・倪某の求めに応じて的中する雨を予言した。
  • 正元二年、弟の管辰に「私には富貴の分はあるが長寿の分はない、四十七、八歳で死ぬだろう」と語り、その理由として額・眼・鼻・脚・背・腹の骨相に長命の相がないこと、生まれが寅年で月食の夜であったことを挙げた。同年八月に少府丞となり、翌年二月、四十八歳で死んだ。

弟・管辰による付記

  • 管辰は輅の才を惜しみ、術数百数十家の書があっても人材が乏しいのは書がないからではなく才がないからだと述べ、裴徽・何晏・鄧颺・劉寔兄弟らが輅の天才を認めていたことを記す。
  • 輅は自ら、京房が禍を免れなかったのに対し自分は四十八歳での死を予知していた点で「明哲相殊」と評され、乱世にあって智を隠し時に応じた輅の処世を京房と比較して高く評価した逸話も付す。
  • 裴松之注は、輅の生年(建安十五年生)と伝中の年齢記述に矛盾があること、劉太常が劉寔を指すこと等を指摘し、閻纘が伝えた補足逸話(隣家の失牛占い、豚の逸話、狐憑きの逸話、盧氏の女の治療の逸話、盗鹿の逸話など)を紹介する。

史論

評に曰く、華佗の医術、杜夔の音楽、朱建平の相術、周宣の夢占い、管輅の易占は、いずれも玄妙にして非凡な絶技である。かつて司馬遷が『史記』に扁鵲・倉公・日者の伝を立てたのは、異聞を広め奇事を示すためであった。それゆえここに記録して残す。