三國志卷十二 崔毛徐何邢鮑司馬傳第十二 鮑勛
父鮑信の忠死
- 鮑勛、字は叔業。泰山平陽の人。父鮑信は太祖挙兵時からの盟友で、太祖に「乱を正す器量は君にある」と見込んで深く結び、汴水の敗戦や兗州黄巾討伐で戦死した(享年四十一)。建安十七年、太祖はその功を追録し勛の兄鮑邵を新都亭侯に封じた。
文帝との確執
- 太子の中庶子・魏郡西部都尉を歴任。太子の妻の弟が官布を盗んだ罪で減刑を求める太子の手紙にも屈せず法通りに上申し、これが文帝の恨みを買った。文帝即位後、狩猟に耽る帝を諫める上疏(「陛下は諒闇の中で馳騁の事を修めるべきではない」)を提出したが黙殺され、劉曄の追従を批判する上奏で帝の怒りを買い、右中郎将に左遷された。
- 宮正(御史中丞)として厳格に職務を果たしたが、呉征討への反対意見でさらに帝の不興を買い治書執法に左遷された。孫邕の軍営内の些細な違反を見逃した件で「鹿を指して馬となす」と誣告され、鍾繇・華歆・陳羣ら重臣の助命嘆願も容れられず誅殺された。家に余財なく、文帝もその二十日後に崩じ、世は勛の死を惜しんだ。