三國志卷十 荀彧荀攸賈詡傳第十 荀攸

出自と若き才

  • 荀攸、字は公達。彧の従子。祖父荀曇は広陵太守。十三歳のとき祖父の墓守りを申し出た元吏の不審な様子を見抜き、実は殺人犯であったという逸話がある。何進に召し出され黄門侍郎となる。董卓の乱の際、鄭泰・何顒・种輯・伍瓊らと董卓暗殺を謀るが発覚し投獄、何顒は憂懼して自殺、攸は平然として董卓の死により釈放された。

軍師としての功績

  • 太祖に召されて軍師となり「公達は非凡の人物」と評された。張繡討伐では緩攻策を進言したが用いられず苦戦、後に奇策で撃破した。呂布討伐では速攻を説き下邳を陥落させた。白馬の戦いでは顔良を斬る計を立て、袁紹との対陣では輜重で敵を誘い文醜を討った。
  • 官渡での兵糧危機に韓猛(韓𦳣)の輸送隊撃破を献策し徐晃に命じて成功、許攸の降伏を機に淳于瓊撃破を進言し的中させた。
  • 冀州平定後は袁譚との和睦、その後の攻略を進言し的中した。功により陵樹亭侯、のち中軍師・尚書令に至った。

人物評と死

  • 深く思慮に富み謀を漏らさぬ人柄で、太祖は「外は愚に見えるが内は智、顔子・甯武も及ばぬ」と評した。文帝も師表として敬った。鍾繇との親交、太祖からの「二十余年、一つの過ちもなかった」との評も伝わる。孫権征討の途上で病没した(建安十九年、享年五十八)。太祖は涙して悼んだという。子の緝は早世、孫の彪が陵樹亭侯を嗣いだ。正始中に敬侯と追諡された。