三國演義第八十五回 劉先主は遺詔をもって孤児を託し、諸葛亮は安居しながら五路の軍を平らげる (劉先主遺詔託孤兒   諸葛亮安居平五路)

戦後処理と黄権の降魏

  • 先主は白帝城(永安宮)で敗戦を悔い、戦死した諸将を悼む。江北軍を率いた黄権は退路を断たれてやむなく魏に降るが、先主は「朕が権を裏切ったのであって、権が朕を裏切ったのではない」として家族への処罰を控える。
  • 曹丕に迎えられた黄権は蜀の家族処罰の噂を信じず、その通り家族は無事だったことが後に示される。

魏の三路侵攻失敗

  • 曹丕は三路(濡須・南郡・洞口)から呉を攻めるが、呉の朱桓・陸遜・諸葛瑾・呂範らの守備と伏兵に阻まれ、いずれも大敗。折からの疫病も重なり魏軍は撤退する。呉魏の関係はこれ以降悪化する。

先主の死と白帝城託孤

  • 先主は病篤くなり、関羽・張飛の霊を夢に見て自らの死期を悟る。孔明・李厳を呼び寄せ、後事を託す。
  • 先主は馬謖について「言葉が実質を超えている、重用してはならない」と孔明に忠告する。
  • 「もし太子(劉禅)が輔佐に値せねば、丞相自ら成都の主となってよい」との衝撃的な言葉を残すが、孔明は号泣して忠誠を誓う。魯王劉永・梁王劉理にも孔明を父のように敬うよう遺言し、趙雲にも後事を託して、章武三年四月二十四日、六十三歳で崩御する。
  • (杜甫の詩:先主の最期を偲ぶ内容)

劉禅の即位と遺詔

  • 劉禅は皇帝に即位(建興と改元)し、孔明は武郷侯・益州牧となる。先主は昭烈皇帝と諡され、恵陵に葬られる。

魏の五路侵攻策

  • 曹丕は劉備の死を好機と見るが、賈詡は軽々しい進軍を諫める。司馬懿は遼西の羌兵、南蛮の孟獲、東呉の孫権、降将孟達の上庸兵、曹真の本隊という五路同時侵攻策を献じ、曹丕はこれを採用する。

孔明の「安居平五路」

  • 五路侵攻の報に成都は動揺するが、孔明は自邸で魚を眺めるばかりで表に出ず、後主劉禅と皇太后まで心配して自ら出向く事態となる。
  • 孔明は既に手を打っていたことを明かす。馬超に西平関を守らせ羌兵を、魏延の疑兵で南蛮を、李厳の名を騙った書状で孟達を、趙雲の堅守で曹真をそれぞれ牽制し、残る東呉には交渉役を送る方針であると説明し、後主を安心させる。
  • 孔明は鄧芝を東呉への使者に選び、蜀呉同盟の再構築を託すところで回を終える。