三國演義第三十八回 三分の計を隆中にて定め、長江に戦い孫氏は仇を報いる (定三分隆中決策   戰長江孫氏報讎)

三顧の礼

  • 関羽・張飛はなお不満を漏らすが、玄德は「大賢を訪ねるのに礼を尽くすのは当然」と譲らず、三人で隆中へ向かう。
  • 草廬では孔明が昼寝中で、玄德は目覚めるまで長時間庭先で待ち続ける。張飛は激高するが、玄德はこれを制し、孔明が自然に目覚めるのを待つ。

隆中対

  • ようやく対面した玄德は天下の大義を伸ばしたいという志を語り、孔明に教えを乞う。
  • 孔明は当時の情勢を分析する。曹操は天の時と人の謀により袁紹を破り百万の兵と天子を擁する強敵で争うべきでない。孫権は江東で三代続き地の利と民心を得ており、味方にすべきで攻めるべきでない。荊州は要衝でありながら主が力不足、益州は豊かでも劉璋が暗愚であることを説き、荊州・益州を確保して天下三分の形勢を築き、機を見て両路から中原へ進出する策(後の隆中対)を示す。西川の地図を示しながら「北の天の時は曹操に、南の地の利は孫権に譲り、将軍は人の和を得るべし」と説く。
  • 玄德は劉表・劉璋への遠慮を口にするが、孔明は「劉表は長くなく、劉璋も基業を保てる器ではない」と答え、玄德はその慧眼に深く感じ入る。
  • (詩:孔明が草廬を出る前に既に天下三分を見通していたことを讃える)
  • 玄德が涙ながらに出山を懇願すると、孔明はついに応じ、以後玄德は師の礼をもって孔明を厚遇する。弟の諸葛均には「功成れば隠遁する」と言い残す。
  • (詩:後年の五丈原での死を暗示しつつ、三顧の恩義を詠う)

江東の動静

  • 孔明は曹操が玄武池で水軍を訓練していることから南征の意図を察し、江東の情勢を探らせる。
  • 孫権は父兄の基業を継ぎ、多くの文武の人材(顧雍・張紘・呂蒙・陸遜ら)を集めて勢力を固めていた。
  • 建安七年、曹操が人質として孫権の子を差し出すよう求めるが、周瑜の反対により拒否し、以後曹操は江南攻略を志すも北方平定に忙殺され実行できずにいた。

黄祖攻めと丹陽の内紛

  • 建安八年、孫権は黄祖を攻めるが、部将の凌操が甘寧に討たれ苦戦し撤退する。
  • 孫権の弟・孫翊は丹陽太守として在任中、部下の媯覧・戴員に恨まれ、辺洪の手で暗殺される。妻の徐氏は機知で孫高・傅嬰を使い媯覧・戴員を誅殺し、夫の仇を討つ。
  • (詩:才知と節義を兼ね備えた徐氏を讃える)

甘寧の帰順と黄祖再征

  • 江東は軍備を整え、周瑜を大都督に任じる。建安十二年、孫権の母・呉太夫人が没する際、周瑜・張昭に後事を託す。
  • 翌年、孫権は黄祖への報復を計画。呂蒙の推薦で、かつて黄祖に冷遇されていた甘寧が東呉に帰順し、黄祖の弱点を突く献策を行う。
  • 孫権はこれを容れ、周瑜を大都督として黄祖討伐に出兵する。甘寧・呂蒙らの活躍で黄祖軍の防衛線(艨艟の鎖)を突破し、陳就を討ち取り、蘇飛を捕らえて黄祖の本拠・夏口へ攻め込む。