三國演義第三十二回 冀州を奪わんと袁尚は鋒を争い、漳河の水を決せんと許攸は計を献じる (奪冀州袁尚爭鋒   決漳河許攸獻計)

袁紹の死

  • 袁尚は黎陽で張遼に敗れて冀州に逃げ帰り、その報せに袁紹は再び吐血して倒れる。
  • 危篤の袁紹は言葉を発せられず、劉夫人が「尚を後継にしてよいか」と問うと頷き、審配が枕元で遺言を書き留める。袁紹は再び血を吐いて死ぬ。
  • (詩:名門の子として一代の英雄を気取りながら、器量が伴わず家を保てなかった袁紹を悼む)
  • 劉夫人は袁紹の寵妾五人を残忍に殺害し、その一族も皆殺しにする。審配・逢紀は袁尚を大司馬将軍に立てて喪を報じる。

兄弟の対立の始まり

  • 青州から戻る途中の袁譚は父の死を知り、郭図・辛評と対応を協議する。郭図は自ら冀州へ探りに行き、審配・逢紀と印綬を巡って駆け引きする。
  • 逢紀と郭図がくじで冀州から袁譚軍へ赴くことになるが、袁譚は逢紀を殺そうとするも郭図に諫められ留め置く。
  • 黎陽で袁譚は曹操軍に敗れ、袁尚に援軍を求めるが、審配の入れ知恵でわずかな兵しか送られず、その援軍も曹操軍に途中で殲滅される。怒った袁譚は逢紀を斬り、曹操への降伏まで考えるが、審配の反対で尚自ら援軍に赴くことになる。

曹操の黎陽・冀州攻めと荊州転戦

  • 袁譚・袁尚・袁熙・高幹の連合軍は建安八年、黎陽で曹操に大敗し逃走する。曹操は冀州を包囲するが、郭嘉の「兄弟の内紛を利用すべし」との献策により、いったん荊州の劉表討伐へ矛先を転じる。
  • 曹操軍が退くと、袁譚は郭図と謀り、長子である自分こそ跡を継ぐべきだと考え、袁尚と審配を酒宴に招いて謀殺しようとするが、別駕王修の諫めを退けて実行に移す前に露見し、逆に袁尚に攻められて大敗する。
  • 両軍はその後も一進一退の攻防を繰り広げ、袁譚は平原に追い詰められて籠城する。

袁譚の降曹策と曹操の決断

  • 郭図の献策により、袁譚は辛評の弟・辛毗を使者として曹操に降伏を申し出る。
  • 曹操陣営では程昱らが降伏を疑うが、荀攸は「袁氏兄弟の内紛に乗じて先に袁尚を滅ぼすべき」と説き、辛毗も同様に河北平定の好機であると力説する。曹操はこれに従い、劉備の追撃を退けつつ荊州から兵を返し冀州攻略へ向かう。

袁尚の敗走と曹操の離間策

  • 袁尚は撤退中に呂曠・呂翔の裏切りで挟撃を受け、袁譚がこの二将を保護して曹操に引き渡す。曹操は袁譚に娘を娶らせ、呂曠・呂翔を厚遇して河北の人心を懐柔する。
  • 郭図の勧めで袁譚は密かに二将に将軍印を贈り内応を図らせるが、二将はその印を曹操に差し出し、曹操はこれを利用しつつ袁譚を除く心を固める。

冀州攻略戦

  • 袁尚は審配の策で武安の尹楷、邯鄲の沮鵠に糧道を確保させ、自らは袁譚を先に討とうとするが、曹操は許攸の進言もあり先手を打って尹楷・沮鵠を撃破し、冀州を包囲する。
  • 城内の東門守将馮禮が寝返り地道による侵入を図るが、審配に見破られ全滅する。
  • 袁尚は平原攻めを切り上げ冀州救援に向かうが、馬延の進言で西山経由の奇襲を試みるも曹操に察知され、審配との合図の偽装降伏策(老幼を先に出して兵を紛れ込ませる計)も曹操に見破られて失敗する。
  • 袁尚は西山でも敗れ、寝返った呂曠・呂翔に馬延・張顗まで曹操側へ引き入れられ、糧道を断たれて総崩れとなり、降伏を申し出るも曹操の夜襲でさらに敗走し、印綬・軍装まで捨てて中山へ逃げ込む。

漳河決水と冀州陥落

  • 許攸の献策により曹操は漳河の水を引いて冀州を水攻めにする。審配は堀が浅いのを見て油断するが、曹操軍は夜のうちに掘り広げ、城内に水を流し込み糧食も尽きさせる。
  • 城外で辛毗が袁尚の印綬・衣服を掲げて投降を呼びかけると、審配は怒って辛毗の家族八十余人を城壁上で斬り首を投げ落とす。これに恨みを抱いた審配の甥・審栄が内応の密書を送り、城門を開いて曹操軍を引き入れる。
  • 徐晃に捕らえられた審配は、辛毗の罵倒にも屈せず、曹操の問いにも頑として降伏を拒み、「袁氏の臣として生き、袁氏の鬼として死ぬ」と言い放って処刑される。処刑に際しても北(主君の方角)を向いて死ぬことを望んだ。

評語

  • (詩:河北の名士の中でも審配ほどの者はいない、忠義・清廉に生き、最期まで節を曲げなかったその姿は、降伏した者たちを恥じ入らせると讃える)

冀州平定後

  • 曹操は審配の忠義を惜しんで城北に手厚く葬らせる。捕らえられた陳琳(かつて袁紹のために曹操を罵る檄文を書いた人物)は「弓は引かれれば放たれるのが道理」と弁明し、才を惜しんだ曹操に赦されて登用される。
  • 曹操の長子・曹丕(十八歳)は冀州占領時、いち早く袁紹の屋敷に踏み込み、そこで泣いている二人の女性に出くわす。