三國演義第三十一回 曹操は倉亭で本初を破り、玄徳は荊州で劉表を頼る (曹操倉亭破本初   玄德荊州依劉表)

田豊の死

  • 袁紹は敗走の末、蔣義渠に助けられて軍勢を立て直すが、夜中に敗残兵たちが田豊の諫言を聞かなかったことを嘆く声を聞き、深く悔いる。
  • 逢紀の讒言により、獄中の田豊が「敗戦を笑った」と伝えられた袁紹は激怒し、使者に剣を持たせて田豊を殺させようとする。
  • 田豊は獄吏に、袁紹は勝てば赦すが負ければ恥じて自分を殺すだろうと予見しており、使者の到着を知ると自ら首を刎ねて死ぬ。
  • (詩:田豊・沮授ら河北の柱石が相次いで倒れたことを悼み、袁紹の没落を暗示する)

後継争いの芽生え

  • 田豊の死を人々が惜しむ中、袁紹は塞ぎ込み政務を怠る。妻劉氏は三男袁尚(美貌で紹の寵愛厚い)を後継に推す。
  • 審配・逢紀は袁尚を、辛評・郭図は長男袁譚を支持しており、四人の思惑が分かれる。
  • 郭図は「長子を廃して幼子を立てれば内乱の種になる」と諫め、後継の議論は先送りとなる。

倉亭の戦いと十面埋伏

  • 袁熙・袁譚・高幹がそれぞれ援軍を率いて冀州に集結し、袁紹は再び曹操と対決する。
  • 曹操は道中で老人たちから「殷馗の予言(黄星の下に真人現る)が今まさに的中した」と持ち上げられ喜ぶ。
  • 倉亭で両軍対陣。袁尚が功を立てようと出陣し弓で史渙を射殺すが、程昱の「十面埋伏」の計により、曹操軍は河を背に袁紹軍を誘い込み、伏兵で包囲殲滅する。
  • 袁紹父子は幾重にも待ち伏せを受けて壊走し、袁紹は吐血して倒れ、三子を抱いて号泣する。各州へ戻って再起を図るよう命じ、自身は袁尚とともに冀州で病を養う。

汝南への出兵

  • 曹操は冀州の守りが堅いため秋の収穫を待つ方針を取るが、劉備が汝南で兵を集め許都を突こうとしているとの報せを受け、急ぎ軍を返して汝南の劉備を迎え撃つことにする。
  • 玄德は穰山で陣を三方に分けて曹操を迎え撃ち、初戦は雲長・張飛の挟撃で曹操軍を退けるが、その後夏侯惇・許褚らの追撃により関羽・張飛が各個に包囲され、玄德自身も夜襲を受けて敗走する。

玄德の逃避行と離散・再会

  • 玄德は単騎で山中を彷徨い、劉辟に助けられて家族と合流するが、さらに張郃・高覧に行く手を阻まれ絶体絶命に陥る。劉辟が身代わりに戦って討死する中、趙雲が駆けつけて高覧を討ち取り、雲長・関平・周倉の加勢も得て張郃を退ける。
  • 張飛も龔都の敗死後に自ら包囲を脱し、雲長と合流して玄德のもとへ戻る。
  • 漢江のほとりで玄德は従者たちに「自分の不運に巻き込んでいる、良き主君のもとへ行ってはどうか」と涙ながらに語るが、雲長・孫乾らに慰められ、荊州の劉表を頼ることを決める。

荊州入り

  • 孫乾が先に荊州へ赴き、劉表に玄德との血縁と志を説く。蔡瑁は「劉備は呂布・曹操・袁紹に仕えては皆離反した人物であり、受け入れれば曹操の怒りを招く」と反対し孫乾の首を差し出すよう進言するが、孫乾は堂々と反論し劉表を説得する。
  • 劉表は喜んで玄德を出迎え、荊州に迎え入れ屋敷を与える。

曹操の再南下計画

  • 曹操は荊州を攻めようとするが、程昱の「袁紹をまず滅ぼしてから南方を取るべき」との進言により許都へ引き上げる。
  • 建安八年正月、曹操は夏侯惇・満寵に汝南を守らせ、曹仁・荀彧に許都を任せ、自ら官渡へ進軍する。
  • 病の癒えた袁紹は再び許都攻撃を図るが、審配の慎重論を退け、袁尚に出兵を任せ、諸子甥を集めて四方から曹操を迎え撃つ構えを取る。