三國演義第七回 袁紹は磐河で公孫瓚と戦い、孫堅は江を渡り劉表を撃つ (袁紹磐河戰公孫 孫堅跨江擊劉表)
冀州の奪取
孫堅は劉表との戦いから辛くも脱し、以後両者は不倶戴天の敵となる。袁紹は謀士逢紀の献策により、公孫瓚と結んで冀州牧韓馥を挟撃すると見せかけ、実は韓馥を懐柔して州を乗っ取る策を実行する。韓馥は袁紹に統治を委ねてしまい、これに反対した長史耿武らは殺され、韓馥自身は逃亡する。
磐河の戦い
騙されたと知った公孫瓚は激怒し、袁紹と磐河で対決する。緒戦は文醜の猛攻に公孫瓚が窮地に陥るが、若き趙雲(字子龍、元は袁紹配下)が颯爽と現れて救い、公孫瓚の陣営に加わる。翌日の決戦では麹義の伏兵に公孫瓚軍が苦戦するも、趙雲の奮戦で盛り返す。袁紹自身も窮地に陥るが、たまたま応援に駆けつけた劉備・関羽・張飛によって救われる。戦いは長引くが、董卓の使者による和睦の勧めで両者は兵を引く。劉備と趙雲は別れを惜しみ、趙雲は公孫瓚の器量に失望の言葉を漏らす。
孫堅と劉表の争い
袁術は袁紹と不仲になり、劉表への恨みから孫堅をそそのかして荊州を攻めさせる。孫堅は長子孫策を伴い樊城・鄧城で黄祖を撃破し、襄陽を包囲する。しかし劉表配下の策略により、孫堅は峴山で伏兵の石つぶてと矢を受けて落命する(享年三十七)。混戦の末、黄蓋が黄祖を捕虜にし、孫策は父の遺骸を取り戻すべく劉表に和議の使者桓楷を送るが、蒯良が「桓楷を斬って好機を逃すな」と進言する。
評語
なし