三朝北盟會編炎興下帙 高宗 紹興 三十一年 1161年

十二月二十日~二十一日 鎮江到着と雞籠山への駐蹕

  • 高宗は鎮江に到着し、戦船を見学した。翌日、雞籠山の行宮に入った。この時点で和州にはなお金軍が残っていた。

十二月二十二日 呉璘、秦州治平寨を回復

  • 四川宣撫使呉璘は左軍統制王中正らに命じ、陝西で陥落していた治平寨を攻撃。金の万戸富色里貝勒の軍と激戦の末、これを撃破し治平寨を奪還した。王中正は負傷しながらも指揮を続けた。

十二月二十三日 采石の功臣への昇進

  • 采石での戦功により、張振・時俊が正任承宣使、戴皋・王琪が正任観察使、盛新が正任団練使に昇進した。虞允文の奏請により、階官の昇進に加えて正任官への任用が特例で認められた。

十二月二十八日 建康府への進幸決定と諸事

  • 高宗の建康府進幸が正月三日と定められた。喪に服していた秦瑣・秦堪が金器・銀・米を献上したが、服喪明けまで受納が保留された。
  • 安豐軍知事孫顕忠の報告により、河北の帰順者・王友直らの軍勢が来投したことが伝えられた。
  • 行宮留守の建康府都統李顯忠・池州都統邵宏淵らは、和州から退却する金軍を横山澗まで追撃し、多数を討ち取り、捕虜を解放したと戦捷を報告した。さらに全椒県まで追撃を続け、二度にわたり大勝を収めたと報告された。