三朝北盟會編炎興下帙 紹興二十九年 1159年

葉義問、金国からの復命

  • 同知樞密院の葉義問が奉使金国から帰り、金に盟約を破る意図があることを察知したと復命した。殿中侍御史の江澂は、靖康の変を教訓に、和好に慣れて驕り緩んだ諸将・戦士の統制を引き締め、実力ある人材を登用すべきだと上奏した。

正月二十一日乙酉 江州都統制の再置

  • 江州にはかつて駐屯軍があったが移戍により治安維持力が失われていたため、都統制一員を新たに置くこととし、殿前司・歩軍司・馬軍司から兵を集め、江西漕運の李若川に統括させることとした。

十二月 續覿、荆南府知事に

  • 劉錡が鎮江府駐劄都統制に転じ、代わって續覿が荆南府知事となった。續覿は着任後、荆南は呉蜀の要衝であり、金が雍・汴への遷都を企てる中で東南の安全に直結する重要地であるとして、鄂渚の兵の半数を荆南に移し駐屯の基盤とすべきだと宰相に上言した。
  • また續覿は四川宣撫招討使の呉璘にも書簡を送り、符離・徳順の戦の後、金は表面上唐・鄧・海・泗の地を宋に譲りつつも内心信義に乏しく、なお侵食の意図を持っていると指摘し、険を頼りに持重して敵の隙をうかがい、みだりに兵を分けて自らを弱めぬよう説いた。