朱夢説の上言(続)―宦官専権の害を諫める
- 朱夢説は、春秋宋の伊戾、斉の易牙、秦の趙高、漢の張遜など、一人の寵臣の専権が国家を傾けた先例を挙げ、天子の寵愛も限度を越えれば必ず禍となると説く。「富は驕を招き、驕は罪を招き、罪は死を招く」という古語を引き、寵愛を与えるにも自制がなければ破滅を免れないと論じた。
- 漢の明帝でさえ郎官の任用に慎重であったのに対し、当代は宦官に邸宅の造営や民産の強奪、売官鬻爵を許し、街の人々も口をつぐんで語らぬほどだと批判。今の忠義の臣を信じるだけでなく、後代への備えを怠るべきでないとし、唐が神龍・天宝の宦官禍を放置し、代宗・徳宗以降ついに大権を取り戻せなかった例を警告とする。
- 上奏や上書が&KR0790;思殿の審査で忌諱に触れると握りつぶされる現状を憂い、これでは下情が上に通じず、禄を惜しむ臣は罪を恐れて黙し、志ある士は言う場を持たないと訴えた。
蔡絛の諫父事件を弁護する
- 蔡絛が父蔡京に国事の非を諫めたことは、家にあっては孝子、国にあっては忠臣たる行いであるのに、朝廷はこれを咎めた。朱夢説は、唐の魏徴の孫・魏謩が代々の家風を継いで直言し称えられた例、狄仁傑の孫・狄兼謨が詔書を返上して文宗に嘉された例を引き、逆に張説の子は父を裏切る讒言で房琯を陥れ史書に汚名を残したことと対比し、蔡絛は前者に類すると弁じた。
- 権勢ある蔡京の子でさえ軽い処分を受けたことを知れば、寒門の臣は「己はなおさら重罰を受ける」と恐れて口を閉ざすようになり、これは天下の言論を封じることに等しいと警告。舜が「四目を明らかにし四聰を達す」で衆情を汲んだ故事を範とし、政和五年正月・六年九月に自らが上呈した意見書を改めて検討し、際限のない献上物の徴集や土木の役を止め、宦官任用に厳格な資格制限を設けるよう求めた。
上言の結び
- 自らの言が狂妄と見なされるなら斬首も甘受するとし、それによって権を弄ぶ者たちが少しでも慎むならば本望であると述べる。台諌の臣が知りながら言わぬのは君を欺くに等しいとし、木を揺るがす者や火に飛び込む者のように危険を承知の上で、なお言わずにいられぬ忠誠の心を訴えて上言を締めくくった。
宰相への上書―良医のたとえ
- 朱夢説は続けて宰相へも書を送り、人の病を薬で癒すように国の病は言葉で癒すべきで、病が篤くなる前に治すべきだと説く。宰相を「国の良医」に喩え、自らを砭石(治療の道具)に任じて仕えたいと願い出た。
- 匹夫の身では権貴に取り入って栄達する道もないため、忌憚ない直言をもって訴えるほかないとし、その無謀さを「一縷の糸で千鈞を引く」に喩えつつも、上書に対し久しく応答がないことへの憤懣を吐露した。
三弊の指摘―入仕の濁り・無用の役・宦官の専権
- 当代の弊害は、入仕の道が濁っていること、不急の造営の務めが多いこと、宦官の権が盛んすぎることの三つであり、前二者は宦官専権に起因すると論じる。自ら禁中に達する道がないため、天下の望みを負う宰相にこの策を進言するのだと述べ、一身の栄達のためではなく万世のための建言であると強調した。
漢唐の史鑑―三代の名君も宦官で国を傾けた
- 漢の武帝・光武帝・唐の玄宗(明皇)は漢唐随一の名君とされるが、朱夢説はこの三君こそが宦官によって国を衰えさせた張本人だと論じる。
- 武帝は後宮の機密を宦者に扱わせ、その弊が元帝の代に及んで石顕・弘恭ら宦官一派が蕭望之・周堪らを陥れる禍となった。
- 光武帝は当初宦官を雑務にしか用いなかったが、延平(安帝)の頃には鄭衆一派が禁中で勢力を築き、内外に害を及ぼした。
- 玄宗は太平の世が長く続き驕奢に流れ、宦官を我が子のごとく信任して兵権まで委ね、粛宗・代宗の代を経て天祐年間にはついに大権を取り戻せなかった。
- 三君の失敗は明らかであり、当代の天子は聡明であるからこそ、乱の兆しを未然に防ぐべきだと結んだ。
人材の埋没と財政の窮乏
- 宦官の専権は人材の道を塞ぎ財政を損なうだけでなく、後世に制御し難い勢力を育てる恐れがあるとし、憂慮を深めた。
- 宦官門下では、承宣・太尉の位でも足らぬとし師保傅の栄を求め、伶人・占い師・花石を献じた者・茶を煎じた者など賎しい出自の者までもが不次の昇進と恩賞に浴し、名節ある名族の子弟が押しのけられている実態を批判。彼らに媚びて姻戚となることを一族で慶び、地方の大鎮が争って彼らの使者役を求め、民の膏血を搾ってまで莫大な貢納を送っていると告発した。
財政窮乏と綱紀・名節の乱れ
- 禁中の欲求は際限なく、珍禽奇花・美しい絹織物などの徴集が止まらぬ一方、軍の俸給や兵糧はしばしば滞っており、財政が真に窮乏している証だと論じた。
- 朝廷の綱紀は名器や恩賞を公正に用いてこそ保たれ、士の名節は進退を道理に基づかせてこそ保たれるものであるのに、今は恩賞が私情によって与えられ、両者ともに崩れていると批判。
- 宦官に逆らえば禍を受け、媚びれば昇進するため、皮肉にも「罪や死を得ること」より「正しく富貴を得ること」の方が難しい世になっていると嘆いた。
宰相への直訴
- 宰相こそ日々天子と道を論ずる立場にあり、民の疾苦を救い、綱紀を正し、百官を正し、天災の調和すら図るべき存在であると訴える。古人の「君子はその位にあれば職に殉じ、位を得ざれば言を尽くして道を明らかにする」の言を引き、自らの直言もその意に発すると述べた。
- 天子への上奏を宰相の手で取り次いでもらえるよう求め、漢唐の失敗を鑑とし、目先の欲のために後の禍の芽を残さぬよう説いた。また、もし天子への直諌を憚るならば、せめて自らの上書を取り次いでほしいと重ねて願った。
結び―韓愈・魏元忠の故事を引く
- 唐の韓愈が天子の危険な外出を諫めた故事(禁苑の獣狩りに興じ、内人と猟士が路を争うような危うさを説いた)を引き、当時の天子はその直言に怒らなかったと述べ、当代の天子と宰相はそれ以上に聡明であるから、なおさら遠慮すべきでないと説いた。
- 唐の名臣魏元忠が晩年に権勢を憚って賞罰を曖昧にし、ついに史書に汚名を残した例を挙げ、宰相にはその轍を踏まず、身分の賎しさゆえに自らの言を退けないよう切に願って上書を結んだ。