呂頤浩、都督として出陣
- 権邦彦が簽書枢密院事となった。呂頤浩は桑仲の京師奪還構想に応じ、都督江淮荆浙諸軍事として北関門を出陣した。
郢州・莫邪関の攻防
- 霍明は郢州を維持できず、夜半に石城から船で脱出し李簡が知郢州となった。
- 曹成配下が守る莫邪関を岳飛配下の張憲が攻略。部将郭進の活躍で関を落としたが、その後第五将韓順夫が油断して賊将楊再興に敗死する失態もあった。岳飛は楊再興を捕らえた際、その武勇を惜しんで助命し「忠義を尽くせ」と諭した。最終的に曹成は韓世忠に降った。
呂頤浩軍中の反乱
- 呂頤浩が丹徒に至った際、前軍の趙延夀が反乱を起こしたが、劉光世配下の王徳・王世忠がこれを討った。
李宏、馬友を謀殺
- 韓世忠の潭州接近を機に、統制李宏は馬友を天慶観で謀殺しその軍を併合した。
劉光世、起復す
- 劉光世の父劉延慶は靖康の変で戦死していたが、遺骨の真偽が定かでないまま丁重に葬られた。劉光世は喪に服したが、京口防衛の功により起復し寧国軍節度使に任じられた。
- 韓世忠は太尉・武城威徳軍節度使に、岳飛は中衛大夫・武安軍承宣使に任じられた。
徳安府、再度の攻防
- 李横・李道が徳安府を攻めたが、知府陳規は和睦を装いつつ守りを固め、天橋を焼き払うなどして撃退した。決死隊の田金が敵将を刺殺する功もあった。
呂頤浩の班師
- 出師中に前軍の反乱や桑仲死亡の報、頤浩自身の病により、七月、呂頤浩は行在へ帰還した。
- 朱勝非が同都督江淮荆浙諸軍事に任じられたが議論を呼び、後に孟庾に交代した。
韓世忠、劉忠を破る
- 韓世忠は岳州伏龍崗で劉忠を大破した。劉忠は淮西へ落ち延びた。
孔彦舟、劉豫に叛帰
- 蘄黄州鎮撫使孔彦舟は、劉豫が厚遇する自身の親族の存在を知り、また権邦彦との確執から劉豫のもとへ出奔した。
秦檜、宰相を罷免
- 呂頤浩の意を受けた綦崈禮が起草した麻制により、秦檜は「南人は南へ帰り、北人は北へ帰る」との発言などを理由に宰相を罷免され、観文殿学士として太平観の宮観職に退けられた。
その他の出来事
- 彗星の出現を機に大赦が行われた。江州で徐王を詐称した李勃が処刑された。
- 九月、朱勝非が再び尚書右僕射同中書門下平章事に任じられた。
- 韓世忠配下の解元は蘄陽口で劉忠を急襲し大破した。呂源が沿海制置使、劉紹先が沿淮防遏使、韓世忠が江南東西路宣撫使にそれぞれ任じられた。
凌唐佐、劉豫に殺害される
- 呂頤浩が蝋書で劉豫配下の応天府知事凌唐佐と密かに連絡を取ろうとしたが露見し、唐佐は劉豫に厳しく詰問された末、大義を説いて罵り殺害された。妻子も連座して重い杖罰を受け、幼い次子は落命した。