劉一止、時政を論ず
- 監察御史劉一止は、君子と小人の消長、行政の統一性の欠如などを繰り返し上疏し、法令が下級官吏の恣意的な運用(省記)に委ねられている弊害を指摘して、法令の一元的な編纂を求めた。上はこれを嘉納した。
官職の異動
- 李回が江西安撫大使兼知洪州となった(呂頤浩が忌避したため)。辛道宗は浙東路兵馬副総管に。
廬州・濠州の攻防
- 偽斉劉豫配下の王世冲が廬州を攻めたが、鎮撫使王亨の計略で撃退・誅殺された。
- 賊将丁順は濠州を二か月包囲し、周辺の墳墓を暴いて財を奪うなど惨状を極めたが、酈瓊の援軍と籠城側の激しい抵抗により最終的に撤退した。守将張徳は自らの功を譲り州印を冦宏に渡す一幕もあった。
馬友・曹成の抗争
- 曹成と李宏の不和から李宏が馬友のもとへ走り、馬友・李宏連合軍が曹成を破った。
呉玠、和尚原で金軍を再撃退
- 金軍は鳳翔府・和尚原を攻めたが、呉玠は弟呉璘らを派して撃退し、多数の将を捕らえた。
邵青の招安をめぐる駆け引き
- 王徳は招降の榜文を持って邵青の陣(崇門鎮)へ赴いたが当初拒まれた。部将単徳忠が反対派の閆在を斬殺し、最終的に邵青は招安に応じた。
諸将の除授
- 張俊は太尉に加階。孟庾・韓世忠がそれぞれ宣撫使・副使に任じられ、曹成・馬友・劉忠の乱、建州の范汝為の乱の討伐に当たることとなった。
- 呉玠は和尚原の功により鎮西軍節度使に加えられた。
翟興軍、「忠護軍」の名を賜る
- 河南で孤軍奮闘する翟興の軍に「忠護軍」の名が与えられ、その労苦が朝廷でも評価された。
李允文、誅殺される
富直柔の失脚
- 呂頤浩の宰相就任に反対した富直柔・辛道宗・辛永宗らの一派が、沈與求の弾劾により処分された。
曹成、安仁県を陥落
- 曹成は安仁県を攻略し、河南安撫使向子諲を捕らえて道州へ連行した。
求賢の詔と通商政策
- 十二月、広く人材を推挙させる詔が出された。呂頤浩は京東・河北との商業往来を通じさせる策を上奏した。
両宮を還す策への懸賞
- 徽宗・欽宗を連れ戻す方策を提案した者には王爵を与えるとの詔が出された。宇文虚中の子孫への配慮も命じられた。
王彦、金州で桑仲軍を撃破
- 桑仲配下が金州を三方から攻めたが、王彦は各個撃破の策を用い、大戦六日の末に賊軍を大破し、均州を回復した。