河東義軍への官職授与
- 王擇仁・韋夀佺・李宋仁・馮賽ら河東の義兵指導者に、河東路制置使や太原府経略安撫使などの官が授けられた。実際には河東はすでに陥落しており、遙領(名目上の任命)にとどまった。
秦檜、宰相に
- 二十三日、范宗尹の罷免を受け、富直柔・韓璜らの推薦により秦檜が尚書右僕射同中書門下平章事に任じられた。
- 汪伯彦も正議大夫として復官した。秦檜・その兄梓はかつて伯彦に学んだ縁があった。
楊彪一党の顛末
- 楊彪・髙安は房州で王彦に降ろうとしたが、髙安が楊彪を殺して単独で投降した。
孔彦舟、蘄黄州鎮撫使に
- 孔彦舟は鄂州で蘄黄州鎮撫使に任じられ、豪奢な宴を催した。かつて潭州で通判張贍の妻趙氏を奪った逸話も記される。
李回、参知政事に
- 秦檜の推薦により、金からの帰還者として忠節を疑われなかった李回が参知政事となった。
汪伯彦の任免
- 汪伯彦は江東安撫大使に任じられたが、九月、侍御史沈與求の弾劾により宮観の閑職に改められた。
徐文、明州に駐屯
- 元は登州で挙兵した徐文が海路帰順し、明州に配された。
呂頤浩、宰相に
- 二十一日、呂頤浩が少保・尚書右僕射同中書門下平章事に任じられた。
郭偉、太平州知州に再任
- 崔増・郤清の攻撃を防いだ功により郭偉は再任されたが、後任の方承が引き継ぎを拒み、郭偉の不正を訴える騒動となった。
王彦、李忠を秦郊で撃破
- 曹端配下だった李忠は独立して京西を荒らし、金州への侵攻をうかがった。宣撫司の使者顔孝隆を殺害して攻め寄せたが、王彦は偽って敗走を装い、伏兵で李忠軍を大破した。李忠は劉豫のもとへ逃れた。
孟庾、戸部尚書に
張琪、討伐される
- 張琪配下だった李捧が反旗を翻して張琪を破り、池州の劉洪道に投降した。捧は正式な官を授けられた。
両宮還御を求める詔
- 二十八日、二帝(徽宗・欽宗)を連れ戻す策を求める詔が出された。翟興は忠州団練使に加階された。
汪藻の上奏(契丹との通好・淮南屯田)
- 汪藻は、金に叛意を持ちつつある契丹の残存勢力(逹実林牙)との通好を図るべきと説いた。
- また、淮南の荒廃地に屯田を行い、軍糧の自給と防備の強化を図るべきと上奏した。
朱勝非、左遷
- 朱勝非は江西鎮撫使制の失敗と赴任の遅延を咎められ、中大夫に降格の上、江州居住を命じられた。江西の帥司は洪州に戻された。