汪藻、将帥統御の三策を上奏
- 二十六日、中書舎人汪藻は、詔に応じて時政の得失を論じる上書を提出した。当面の急務は「馭将」(諸将の統御)の一事に尽きるとし、三つの策を説く。
- 「法を示す」:賞罰を厳格に運用すべきとし、唐の顔真卿・馬燧が些細な違反も見逃さなかった故事を引き、小過を放置すれば大悪を招くと説く。現在の諸将が驕慢になっているのは、朝廷が恩恵ばかりを与え威(罰)を用いないためだと指摘する。
- 「権を運す」:将を統御するには、これを制しうるだけの力量が必要であるとし、漢高祖が韓信の兵権を自在に奪い与えた故事を引く。現在の諸将(劉光世・韓世忠・張俊・辛某)の印符や精兵を、朝廷が非常時に自在に動かせない状況を憂う。
- 「分を別つ」:将は謀臣の指図を受けて働く存在であり、国政の議に武臣を参与させるべきではないとし、諸将が禁中へ自由に出入りし、大臣と対等の礼で接する風潮を戒める。また、財政面でも軍の不正な冒請(架空名義の給与受給など)や、内廷の濫費を厳しく取り締まるべきと説く。
- あわせて、皇族の登用による兵権の分散(漢の諸侯建国策に倣う)を提案し、上書を締めくくる。史臣はこの上書を「時務に切実」と評しつつ、将臣を厳しく律しすぎる点には異論も付す。この上書が伝わると武将たちは強く反発し、逆に「文臣に国事を語らせるべきでない」との反論文書も作られ、文武の対立が先鋭化したことが記される。
郢州・潭州の動静
- 桑仲は配下の霍明に郢州を守らせた。孔彦舟は潭州を陥落させた。
張俊、馬進を玉隆観で破る
- 三月十二日、張俊は洪州で対峙していた馬進を計略で誘い出し、玉隆観の戦いで大破、さらに筠州でも撃破して八千を捕虜とした(後に反乱を恐れ夜間に処断)。馬進は江州へ敗走した。
和尚原の戦いと諸将への奨諭
- 金将黙哷が和尚原を攻めたが呉玠が撃退し、忠州防禦使兼帥涇原に加階された。張深・程堂・劉子羽にも奨諭の詔書が下された。
陝西・京西方面の動静
- 張浚は閬中へ司を移した。桑仲は李道を隨州知事とした。
張榮、達蘭を撃退
- 泰州縮頭湖で、達蘭の水軍が張榮の奇策(船を捨てての陸上急襲)により大敗し、達蘭は楚州へ敗走した。この功により張榮は右武大夫・遙郡観察使・知泰州に任じられた。
劉光世、招降策を用いる
- 劉光世は「招納信寶」の銭を鋳造し、金軍中の投降を促す策を実施した。
李允文、岳州知事袁植を殺害
- 綱運の扱いをめぐる対立から、李允文は部下を遣って袁植を殺害させた。
興国軍の混乱と知軍李儀の受難
- 李成配下の馬進が興国軍を占拠し、知軍李儀を捕らえようとした。李儀は逃亡先の寺で殺害されかけたが従者に救われ、下手人を告発して処刑させた。李儀の善政を慕う民により生祠が建てられた。
張俊、江州で馬進を再度撃破
- 二十八日、張俊は険路に伏せる賊将商元を見破って奇襲し、江州を奪還した。上は親筆で労い、李成軍にも投降を促す詔が発せられた。
その他
- 四月一日、陳彦が興国軍の統治を任された。十日、劉光世配下の康淵が通州を回復した。