三朝北盟會編建炎下帙 建炎三年 1129年

十三日壬戌 杭州到着

  • 皇帝は杭州に到着し、州治を行宮、顕寧寺を尚書省とした。到着した百司官吏は定員のごく一部にとどまった。

十四日癸亥 汪伯彦、自らの処罰を求める上奏

  • 汪伯彦は渡江に至った経緯の責を負い、竄殛(配流・誅殺)を求める劄子を上奏した。黄潜善・路允迪も同様に処分を求めたが、皇帝は詔を下して慰留し、伯彦の辞任を認めなかった。

十四日 皇帝の下責己詔・避殿詔・倹約詔

  • 皇帝は自らの不徳を責める詔、殿を避けて質素にする詔、渡江に取り残された兵士家族の救援策(船の手配・支給米の措置)などを相次いで発した。宮中の贅を省き、応急の供給に努める姿勢を示した。

十六日乙丑 徳音の発布

  • 皇帝は自らの不徳と国難への痛惜を述べる徳音を発し、大赦を行った。黄潜善・汪伯彦は重ねて罷免を願い出たが、なお慰留された。

十八日丁夘 御史中丞張澂、黄潜善・汪伯彦の大罪二十を弾劾

  • 張澂は両相を厳しく弾劾する上奏を行い、揚州陥落に至るまでの失策を二十カ条にまとめて列挙した。要旨は次の通り。
  • 泗州急報を放置し渡江の決断を誤らせたこと。
  • 官吏の家族退去を禁じたため多くが金軍に捕らえられたこと。
  • 淮南の民を見捨てて渡江したこと。
  • 宗廟神主の護送を怠ったこと。
  • 建炎初年以来、失陥した州郡が拡大の一途をたどったこと。
  • 士大夫の遭難者が続出したこと(黄鍔・史徽・范浩ら)。
  • 揚州の軍費を活かせず潰兵が東南に害を及ぼしたこと。
  • 左蔵庫の財貨の搬出を怠り、金軍の手に渡したこと。
  • 濮州陥落後の混乱への無策。
  • 降臣であった謝克家・李擢を重用したこと。
  • 王黼・梁子美の縁故人事による朋党形成。
  • 言官の上奏を軽んじ、御史台に押し付けたこと。
  • 自派の中書舎人黄唐傅を優遇したこと。
  • 巡幸に伴う官署の重複による浪費。
  • 許景衡の渡江進言を退けたこと。
  • 見任官の家族退去禁止など朝令暮改。
  • 私兵を多く抱え、公私混同したこと。
  • 斥候の怠慢により金軍接近を見誤ったこと。
  • 閻瑾の変での対応の遅れ。
  • 盧益の縁故登用など朋比の弊。
  • 車駕蒙塵の中でも威儀を保ち恥じなかったこと。
  • 張澂は自らも渡江進言者であったと述べつつ、両相の重い処分と、政治の刷新・寛恤・軍備再建を求めた。
  • 汪伯彦も重ねて処分を求める劄子を上奏した。