三朝北盟會編靖康中帙 諸録雑記(陥落前後の実見録と皇族の消息)
「汴都記」にみる開戦から張邦昌擁立までの経過
- 郭薬師の叛降を発端とする金軍の急襲、宰相人事の迷走(徐処仁・呉敏・耿南仲らの不和)、王雲の使命が政争で潰えた経緯、開封の防衛策を巡る議論(京城周辺への分屯策など)が採否されなかった顛末が改めて記される。何㮚の募兵が実効を欠いたこと、廃立に至る経過、京師陥落後の混乱(無君の期間が四十余日に及んだこと)、北遷させられる人々の悲惨な行進の様子(脱落者は殺され、遺骸が道に散乱した)などが記される。
「靖康皇族陥敵記」にみる連行された皇族の名簿
- 少帝(欽宗)以下、太子・諸王・妃嬪・公主・駙馬など北へ連行された皇族の詳細な消息(生存地・死没の別)が名簿形式で列挙される。多くが五国城・冷山などに分散して抑留され、すでに没した者も少なくないことが記される。
欽宗、血書の詔を残す
- 欽宗は滑州の駅で指を噛み切り、衣の襟に「宋の徳いまだ興らず禍を招いた、忠臣義士よ心を一つにして朕のために北方の恥を雪げ」との血書を残したと伝えられる。
「雑考私書」「秘書少監趙暘の書」にみる陥落前後の実見録
- 城内にいた官吏の私信・回想として、太原・真定の相次ぐ陥落から講和交渉の迷走、閏十一月の城門閉鎖と攻城、二十五日の陥落、その後の金銀根括の激化(内蔵庫の絹・金銀の搬出、目標額に届かず督責が強まる様子)、欽宗が実質的に軟禁され「金銀を集めねば帰れない」と迫られた経緯、梅執禮ら四人の凄惨な処刑の様子、張邦昌が百官に脅されて即位を受け入れるに至った経緯が、当事者に近い視点から詳細に描かれる。城内の物価高騰(米一斛二十四貫)、勤王軍の一部による略奪、宗室の連行の悲惨さも記され、「盛時にこのような事態に至ろうとは」との痛嘆で結ばれる。