十七日 張邦昌、恩赦の詔を布告
- 三省枢密院は面旨を奉じ、京城囲閉のため通常の赦令が行き届かなかったことを踏まえ、在京の罪人の釈放、官員の転官・磨勘の優遇、父母妻への封贈、服色の改転、科挙関係者への恩典、除名・降格者の復職、逃亡兵の出頭猶予、官の負債の免除、耆老への穀帛支給、米麦の廉売、貧民への葬送費支給、施薬などの広範な恩恵措置を布告した。寺院・宮観の欠員補充や還俗僧道の扱いも定められた。
十八日 徐秉哲・莫儔・呉幵、三省枢密院を分掌
- 徐秉哲は枢密院を、莫儔は中書省を、呉幵は尚書省をそれぞれ権領した。
十九日 督責やや緩和/太学生の疫病を撫諭/翟興、髙世由を斬る
- 金銀の督責がやや緩んだ。邦昌は国子祭酒に命じて太学諸生を撫諭させた。「遺史」は、囲城中の悪食で太学生に疫病が蔓延し、七百余人のうち三分の一が死んだこと、邦昌が医官を送り薬を給して人心を得ようとしたこと、黒豆湯の効験を伝える夢の逸話を記す。
- 前軍統制の翟興(河南の人)は、金に迎えられ河南尹となっていた髙世由を洛陽で急襲して斬った。
二十日 邦昌、謝克家ら官職を任命
- 謝克家を吏部尚書、邵溥を戸部尚書、周懿文を開封府尹、王悰を吏部侍郎などに権任した。
二十一日 医官・技芸人らが再び入城
- 二帥の許しを得た医官らが薬材調達のため一時帰城した。
二十二日 欽宗、王時雍・徐秉哲へ手書を送る
- 邦昌は邵溥に京城所の提挙を兼任させた。軍中の欽宗は王時雍・徐秉哲宛に「社稷を誤ったのは大臣の責、父子離散の痛恨は言葉にできない、新君によく仕えよ」との手書を送った。
二十三日 邦昌、旧臣の解放と金銀督責の停止を重ねて懇請
- 邦昌は二帥に馮澥・郭仲荀ら旧臣の返還を願う書を送った。
- また「人君は民あってこそ位を保てる、京城の金銀はすでに搾り尽くされ、餓死者が日々万を数える有様であり、督責を続ければ人心が離れ国を保てない」として、金銀・表叚の再度の科定を止めるよう懇願した。金は「軍賞に必要な費用だが、楚国草創のためやや緩める」と応じた。
二十四日 邦昌、旧臣返還と督責緩和への謝意を述べる
- 邦昌は馮澥・曹輔ら旧臣の返還と督責緩和への謝意を書に記した。
- 金は路允迪・沈晦および官吏・僧道・百姓数千人を城内に帰した。太原に留め置かれていた使者滕茂実は、代州に降った兄と共に留置されたままとなった。
二十五日 邦昌、旧臣の職を回復/大元帥府、諸路勤王軍の集結を指示
- 馮澥・曹輔らが旧職に復し、朱宗権・師尹・王及之ら諸官が任じられた。李回は病を理由に権尚書を辞した。
- 大元帥府は東平府に対し、王雲ら西道・南道の各将が既に進軍していることを踏まえ、諸路の勤王軍を京師近くへ結集させ声援を通じるよう指揮した。金の騎兵中心の陣に対しては牌鎗を先頭に配し弓弩を守ることとされた。
二十六日 金軍元帥、諸軍に二十八日の下城を通達
- 金の元帥府は諸軍に二十八日の撤退を令し、邦昌を通じて数百通の檄書を四方に伝えるよう命じた。開封府は諸州の商人を動員し、詔書を各地へ伝達させる措置を講じた。
二十七日 城外に火、金軍陣地焼却との噂
- 京城の四面に火光が広がり、金軍が寨柵を焼いて撤退の準備をしているとの噂が伝わった。