講和交渉の本格化
- 正月八日甲戌、鄭望之は吴孝民と共に上に謁見、知枢密院事李稅・工部侍郎鄭望之(計議副使)が改めて斡里雅布軍前に派遣されることとなった。
- 鄭望之奉使録によれば、上は延和殿で望之の報告を聞き、割地に応じるなら歳幣三五百万は問題ないとの意向を示した。望之は国家の歳入(茶塩銭のみで年二千五百万)を踏まえ十分対応可能と答えた。金一万両と酒果を斡里雅布に届けたが、金側は「南朝は帰朝官を受け入れ、張覚に伐金の詔を出すなど盟約違反が多い」と難詰し、和議の話が進まなかった。
- 蕭三宝奴・耶律忠・張愿恭が張覚の件を持ち出し、金の皇子郎君(斡里雅布)は本来李鄴の使者を待っていたが応答がなく、南下を決めたと説明。望之は事情を釈明しつつ、親王を人質に出す要求には「周鄭交質」の故事を引いて婉曲に拒否を試みた。
- 三宝奴は「河北の地は北朝が守れないはずがない」「馬牛金銀を多く出せ」などと畳みかけ、望之は宋の財政事情や誠実な対応を訴えたが、交渉は難航した。
斡里雅布の移牒と非難
- 斡里雅布(オリヤブ)は万勝門に陣を移し、朝廷に牒を送った。文中では、金の先帝(阿固達)の遼への寛大な処置、宋との燕雲交割の経緯、張覚を匿った宋の背信、正旦使の礼の不備などを列挙し、開戦の正当性を主張。同時に、宋が悔悟し和議を求めるなら応じる用意があると述べた。
犒軍・割地の要求
- 正月九日乙亥、李稅・鄭望之は斡里雅布の軍中に赴き、二太子(斡里雅布)と会見。恐怖のうちに交渉し、和議・犒師の条件として金五百万両・銀五千万両・絹綵各一千万疋・駝騾驢を万単位、金国主を伯父と尊称すること、燕雲の漢人の引き渡し、太原・中山・河間三鎮の割譲、親王・宰相を人質とすることなどが示された。李稅らはこれに満足な返答ができず、金側に「これはただの婦人女子だ」と侮られた。
- 鄭望之奉使録によれば、金側は城攻めの構えを見せつつ交渉を優位に進め、金五百万両・銀五千万両・牛馬一万匹・表叚百万疋という要求を提示。望之は国家の産物・歳貢に限りがあることを説いて減額を求めたが、郭薬師も同席し「七、八分でも送ればよい」などと口を挟んだ。
- 秀水閑居録によれば、金は郭薬師が宣和殿の金塊を見た経験を根拠に「まだ出し惜しみしている」と難詰し、朝廷は移牒で歳幣七百万貫への減額と、賞軍銀五百万両・絹五百万疋・金五百万両などの事目を示した。
使者の往復と復命
- 正月十日丙子、李稅らは金の計議使高永・張愿恭・蕭三宝奴と共に復命。斡里雅布の返書では、御宝文字により前非を悔い盟好を求める旨に応じ、王弟鄆王と少太宰一名を人質として送るよう要求し、賞軍の物帛(金五百万両・銀五千万両・雑色表叚絹百万疋・馬牛騾各一万頭・駝千頭)を示した。
- 中興遺史によれば、李稅らの報告を受け、李綱は死戦を主張したが、李稅・望之は金の勢いを恐れて速やかな受諾を説き、李邦彦もこれに同調。上も宗社生霊の保全を優先し、要求をほぼ全て受け入れることとし、官司・士庶の金帛の徴収が命じられた。