三朝北盟會編 炎興下帙 高宗 紹興十年 閏六月十八日庚寅 1140年

王之道が魏矼に上した書(和議「九不可一可」論)

  • 王之道は、臨安滞在中に巷間で聞いた議論を魏矼(吏部侍郎)に書き送った。要旨は次の通り。
  • 父母兄弟の讐は共に天を戴かず、徽宗・皇后らが金の捕囚のまま崩じた以上、和議は許されない。
  • 唐の徳宗が吐蕃と和した際、李晟・柳渾の反対を押し切って和議を結び、結局裏切られた故事に鑑みても、金は信用できない。
  • 和議は民を休ませるためのものだが、靖康の轍を踏むことを恐れる民心に反する。
  • かつて金が擁立した劉豫を後に容易に廃した例を挙げ、金に臣事すればいずれ宋も劉豫と同じ扱いを受けると警告。
  • 淮西の戦禍からの復興途上にある民に、両宮帰還を名目とした過重な負担を課すべきでない。
  • これまで奪回した淮北の地も維持できなかった実績から見て、国力が伴わないまま和議で妥協するのは得策でない。
  • 中興の主は艱難の中でこそ大業を成すものであり、安易な和議は将来の恢復の志を挫く。
  • 実権が朝廷ではなく諸将に偏っている現状で和議を結んでも、将ら次第で破られかねない。
  • 金が宋の君主を「小国の君」として遇するなら、金使を迎える儀礼上の屈辱も避けられない。
  • 唯一「可」とする道として、秦伯が晋侯を許して国へ帰した『左伝』韓原の戦いの故事を引き、金が徽宗の死や梓宮・両宮の件で宋に対し恩を売る形の和議は道理に反するとし、信義なき盟約は無益であると結ぶ。

王之道が曽統(諫議大夫)に上した書(五事の献言)

  • 同日、王之道は曽統にも別途上書し、次の五つを献言した。
  • 欽宗(淵聖)が帰国した際には、晋の文公の故事に倣い自ら罪を天下に謝すべきこと。
  • 梓宮・欽宗の帰還時には、秦伯が晋の三帥を迎えた故事に倣い、天子以下が喪服を着け、供応も質素にすべきこと。
  • 梓宮の返還にあたっては、真偽を確かめてから改めて安葬の儀を行うべきこと。
  • 淮西一郡だけで莫大な迎接費用がかかっている現状を憂え、唐の元徳秀の質素な故事に倣い、無用の造営を慎むべきこと。
  • 梓宮帰還の礼は『礼記』檀弓篇の喪礼に照らして厳粛に行うべきこと。
  • さらに、金の使者の態度を注視すべきとして『左伝』の斉仲孫湫の故事を引き、越王勾践が呉に臣従しながら後に呉を滅ぼした例を挙げ、和議に甘んじるのではなく雪辱の計を図るべきだと説いて結んだ。