三朝北盟會編 炎興下帙 高宗 紹興二十一年 1151年

九月

  • 巫伋・鄭藻が祈請使副として金国へ赴き、帰還した。金主に謁見した際、正使巫伋は陵墓の修築・欽宗の帰国・皇帝の号の使用の三点を求めたが、金主はいずれも取り合わず、通訳を通じて素っ気なく退けたという。「遺史」はこれを「祈請使でありながら祈請の言葉もなく、書状を投じただけであった」と評し、「文字も読めない下役でも務まる使命だった」との当時の批判を伝える。
  • 高宗が張俊の邸宅に行幸し、官吏がそれぞれ一階昇進した。

十一月

  • 陳相が賀生辰国信使、孟思恭が副使として金へ派遣された。

十二月

  • 金が使者を派遣し、正旦を祝賀した。