梁書卷四十九 列傳第四十三 鍾嶸

鍾嶸

  • 字は仲偉、潁川長社の人、晉の侍中鍾雅の七世孫。父の蹈は齊の中軍參軍。兄の岏、弟の嶼とともに学を好んだ。齊の永明中に国子生として周易に通じ、衞軍王儉に見出され本州秀才から王國侍郎・撫軍行參軍・安國令・司徒行參軍を歴任。
  • 天監初年、永元の乱で軍功偽装により官爵が乱れた弊を上言し「軍功で九卿・散騎の高位を金銭で得た者が多く、名分と実質が甚だしく紊れている、素族士人は清貫が別にあるのだから軍官による受爵は削除すべきであり、吏姓・寒人は門品の範囲で用いるべきで軍功で清級を濫用させてはならない」と説き、勅により尚書に付され施行された。
  • 中軍臨川王行參軍、衡陽王元簡が會稽太守となると寧朔記室として文翰を掌り、居士何𦙍の若邪山の廬が洪水で唯一残った奇瑞を頌に作った(「瑞室頌」)。西中郎晉安王記室に転じた。
  • 嶸は古今の五言詩を品評した『詩品』(原文「詩評」)を著した。その序では、詩とは人の感情が動いて生まれるもので、天地を動かし鬼神を感ぜしめる力を持つとし、五言詩の淵源を『詩経』・楚辞に遡り、漢の李陵に始まる五言の系譜、建安の曹氏父子・王粲ら、太康の三張二陸・両潘一左、永嘉の玄言詩の流行と郭璞・劉琨による革新、劉宋の謝霊運に至る変遷を概観した。四言より五言の方が意を尽くしやすく詩の中心となったことを説き、興・比・賦の三義を用い風力と丹采を兼ねてこそ良い詩になると論じ、四季の風物や別離・辺塞・宮怨などの主題が人の心を動かす所以を述べた。また当時の詩壇が浮薄な流行に流され評価の基準が定まらぬ乱れを憂い、劉士章(劉繪)が正そうとして果たせなかった志を継いでこの書を著したと結んだ。
  • のち間もなく官のまま没した。兄の岏は府參軍から建康県令に至り「良史傳」十巻を著した。弟の嶼は永嘉郡丞となり天監十五年には勅命で『徧畧』の撰にも加わった。兄弟ともに文集がある。