梁書卷四十八 列傳第四十二 司馬筠
司馬筠
- 字は貞素、河内溫の人、晉の驃騎將軍譙烈王司馬承の七世孫。沛國の劉瓛に師事し三礼に精通、齊の建武中に出仕、天監初年に暨陽令として清績を挙げ尚書祠部郎に昇った。
- 天監七年、安成太妃陳氏が薨じた際、その子で慈母(実母でない養母)にあたる江州刺史安成王秀・荊州刺史始興王憺の服喪の可否をめぐり議論が起き、中書舎人周捨・庾蔚之らの説を踏まえ、高祖から皇子の慈母の服喪制度について改めて議するよう勅命が下った。
- 筠は宋朝の制度に従い訓養の母への服は小功(軽い喪服)とすべきと論じたが、高祖はこれに反論し、慈母には三条(妾の子を養う無子の妾=三年喪、嫡妻の子を養う妾=小功、単に選ばれて養育する師保の慈=無服)の別があることを詳細に説き、鄭玄の注釈の混同を正した。結局、筠らは高祖の議を受けて嫡妻の子が父の妾に養われた場合の服を五月喪と改定し永制とした。
- のち王府諮議・尚書左丞・始興内史を歴任し官のまま没した。子の壽は父の学を継ぎ三礼に明るく尚書祠部郎・曲阿令を歴任した。