梁書卷四十七 列傳第四十一 沈崇傃
沈崇傃
- 字は思整、吳興武康の人。父の懐眀は宋の兖州刺史。6歳で父の喪に礼を過ぎて哭踊し、成長後は書写の傭賃で母を養った。齊の建武初年に出仕、天監初年には官を歴任し、太守栁惲の主簿となった。
- 惲に従い任地に赴いた帰りに母を迎えたが、母は没した。看病に立ち会えなかったことを悔い、水も断って自ら命を縮めようとしたため兄弟に諫められた。貧しさから葬送もできず物乞いをして年を越し、ようやく葬った後は墓側に廬して喪に服し、初めの喪礼が不十分だったとして葬後にさらに三年の服を続け、麦屑を食し塩酢を断ち、単薄な敷物に臥して虚腫を病んだ。
- 郡県がその至孝を挙げ、高祖は中書舎人を遣わして慰撫し、詔して太子洗馬に抜擢、その門閭を旌表した。崇傃は詔を受けて服を釈いたが、なお喪中のように涕泣し、固辞を重ねてようやく永寧令となった。禄を得ても父母の養いに間に合わなかったことを恨み、悲しみに堪えかね、任地で没した。享年三十九。