梁書卷四十六 列傳第四十 徐文盛

出自と寧州統治

  • 徐文盛(字は道茂)は彭城の人。父・慶之は北魏に仕えた将で、天監初年に千余人を率い梁へ帰順する途上で没し、文盛がその衆を引き継ぎ功を立てた。高祖に厚遇され、大同末年に持節督寧州刺史となった。
  • 寧州はもと辺境で諸蛮が教化に従わず前任の刺史も統制できなかったが、文盛は撫恤と威徳を示して風俗を改めさせた。

侯景討伐から失脚

  • 太清二年(548年)の国難に数万の兵を募って世祖のもとへ馳せ参じ、持節・散騎常侍・左衛将軍・都督梁南秦沙東益巴北巴六州諸軍事・仁威将軍・秦州刺史として東討を命じられた。
  • 武昌で侯景の将・任約と対峙し、尹悦・杜幼安・王珣らと合わせて貝磯で任約を大破、約は西陽へ退いた。文盛は蘆洲へ進んだが、侯景本隊が西上して救援に来ると戦を避けた。
  • これは文盛の妻・石氏が建業にいたのを景が返還したことに恩義を感じ、密かに景と通じたためで、将士は憤慨した。杜幼安・宋簉らが独断で出撃し景軍を破ったが、景が別動隊で郢州を奇襲・陥落させたため軍中は動揺し大潰し、文盛は荆州へ逃げ帰った。
  • 世祖は文盛を城北面都督としたが、贓汚の罪十箇条を挙げて官爵を剥奪し投獄した。獄中で同じく捕らえられていた任約と対面した際、「なぜ早く降らなかったのか」と詰られ答えられず、獄中で没した。