経歴
- 字景光。子雲の弟。若くして書史に親しみ文才もあった。員外散騎侍郎として出仕、南中郎記室に遷り、臨安令として出向。性格は恬淡で嗜好が少なかった。かつて重雲殿で「三慧経」の講義を聴聞し、退いてその賦を作って奏上したところ大いに称賛された。安西武陵王諮議に遷り新繁令を帯び、王府の異動に従って儀同従事中騎長史となり、その官にて卒した。
史論
- 陳の吏部尚書姚察は評す。かつて魏は兵威によって漢の国運を奪い、晋は宰輔の地位によって魏の国運を移した。いずれも古の禅譲のように徳をもって位を伝えたのとは異なるため、前代の宗族を抑え民望を絶とうとした。それでも劉曄・曹志は朝廷で重んじられ続けたが、宋に至って前代の宗族はついに廃姓とされ、斉が宋の外戚一族を皆殺しにしたため、その国運も長くは続かなかった。これもまたその報いによるものであろう。梁の革命はこうした前例を踏襲せず、子恪兄弟や一族の者たちはみな才に応じて任用され、栄達を保ち旧に変わりなく過ごすことができた。これは魏・晋の顕職に留めた例をはるかに超えるものであり、君子はこれによって高祖の度量が前代を超えていたことを知るのである。