兩晉演義第九十二回 女色を貪り針を呑み僧侶を欺き、婦の翁を戕い衆を擁し天主と号す (貪女色吞針欺僧侶 戕婦翁擁眾號天主)
盧循の動向
- 盧循は海賊行為を続け、劉裕に度々撃退されながらも広州を奪い、刺史呉隠之を捕らえて自ら平南将軍を称した。義兄の徐道復も始興を占拠した。
- 晋廷は当面の平穏を優先し盧循を広州刺史、徐道復を始興相に任じてなだめた。旧知の王誕の説得で盧循は呉隠之を釈放、劉裕は事態を一時棚上げにした。
鳩摩羅什の逸話
- 後秦主姚興は高僧鳩摩羅什を国師として迎え、多数の仏典を翻訳させた。羅什は経典の音韻にも通じ、実相論を著すなど姚興の篤い信任を得た。
- ある時、羅什は「情欲が生じた」として姚興から宮女を賜り、以後は僧房を出て妻帯し、他の僧にも倣う者が出た。羅什は針を平然と食べてみせ「これができる者だけ妻帯せよ」と戒めたと伝えられる。
- 羅什は在秦九年、七十四歳で没し、遺言により火葬されたが舌だけが焼け残ったという。弟子の僧肇が長大な誄文を作り羅什の徳を称えた。
- 羅什門下からは多くの高僧が出て仏教は秦で盛んになったが、著者は「仏教は治世の道にあらず」と評している。姚興は劉裕との友好から南郷など十二郡を東晋に割譲するなど、信仰が政治判断に影響したことが語られる。
南涼・仇池の動き
- 南涼では禿髮傉檀が兄利鹿孤の跡を継ぎ涼王を称し、後秦に臣従しつつ勢力を広げ、ついに姑臧を得て涼州刺史となった。旧臣孟禕は「信義と仁義があってこそ久しく安泰たり得る」と諫めた。
- 仇池の楊盛は後秦に攻められて降伏し、子の楊難当らを人質に出した。
北魏・柔然・後秦の抗争
- 北魏の拓跋珪は皇后擁立の慣例(銅像鋳造)を経て慕容宝の娘を皇后に立てたが、さらに後秦へ通婚を求めて拒絶され、使者を抑留された。怒った拓跋珪は後秦領を攻め、柔然(社崙)とも絡む戦いの末、後秦の姚平を戦死させるなど大きな痛手を与えた。最終的に両国は和議を結んだ。
赫連勃勃の台頭
- 匈奴の末裔劉勃勃(のちの赫連勃勃)は姚興に重用されたが、家臣姚邕の再三の諫言(「勃勃は貪暴で信頼できない」)を姚興は聞き入れなかった。
- 勃勃は後秦・北魏の和睦を機に叛意を固め、柔然の貢馬を奪い、舅の没奕于を狩猟に誘い出して殺害、その部曲を吸収して天王大単于を称し国号を夏とした(十六国のひとつに数えられる)。
- 勃勃は各地を転戦して秦の諸城を破り、部下の「拠点を定めるべき」との進言を退け、遊撃戦で秦を疲弊させる戦略を語った。姚興はようやく「姚邕の言を聞かなかった」ことを後悔したと結ばれる。
評語
鳩摩羅什は妻帯・食針の逸話からして真の高僧とは言い難く、仏教が姚秦にもたらした利益は乏しいと論じられる。姚興は仏教への傾倒から南郷十二郡を東晋に、涼州五郡を南涼に譲るなど国防を軽視し、さらに異民族の赫連勃勃に朔方の守りを委ねたことが後の禍根となった、と手厳しく批判されている。