兩晉演義第八十回 拓跋珪は敗を転じて勝となし、慕容宝は怯えて出奔する (拓跋珪轉敗為勝 慕容寶因怯出奔)
鄴の攻防と魏軍の内輪もめ
- 鄴を守る燕の范陽王慕容徳は、安南王慕容青に夜襲をかけさせ魏将拓跋虔を撃破した。別駕韓の進言で深追いはせず、持久策に転じた。
- 魏の遼西公賀賴盧と拓跋儀は不仲で互いに疑い合っていた。燕の丁建が拓跋儀の司馬と内通し、賀賴盧軍が失火したとの偽情報を流させたため拓跋儀軍は退却、賀賴盧も撤退した。丁建はその後鄴に投降し、燕軍は退く魏軍を追撃して大勝した。
- 魏主拓跋珪は自ら信都攻めに向かい、燕の宜都王慕容鳳は籠城の末に中山へ逃れ、信都は降伏した。燕はその後拔楊城を奪い返した。
柏肆の激戦
- 慕容宝は国庫の財を尽くして兵を募り、宮女までも褒賞にあてて数万の寡兵を集めた。魏との和睦交渉も決裂し、両軍は滹沱河を挟んで柏肆に対陣した。
- 高陽王慕容隆が夜陰に乗じて渡河・放火し魏営を急襲、魏主珪は着の身着のまま逃げ出した。しかし燕兵は戦利品の奪い合いで統制を失い、態勢を立て直した魏軍の逆襲を受けて大敗、武具のほとんどを失った。
- 燕軍は中山へ敗走する途中も魏軍の追撃と寒さで多くの兵を失った。
中山籠城と内紛の兆し
- 逃げ込んだ中山でも尚書郎慕輿皓による暗殺未遂が起き、事前に露見して慕輿皓は魏へ出奔した。
- 慕容宝は龍城の清河王慕容会に援軍を求めたが、会は私怨から進発を渋った。先発した将の餘崇は独断で兵を進め、魏の遊撃隊を撃破する武功を立てた。
- 高陽王隆は魏軍の疲弊を見て出撃を進言したが、趙王慕容麟の妨害で実行できなかった。
- 慕容宝は魏に人質と領土割譲を条件に講和を求めたが、いったん合意した後にこれを破棄し、魏軍は再び中山を包囲した。
- 城内の将士が出撃を強く願い出るも慕容宝は許さず、命じられた慕容隆の出撃も慕容麟に阻まれ、将士は失望した。
趙王麟の離反と北走の決断
- 趙王慕容麟は左衛将軍慕容精を殺そうとして拒まれたため精を斬殺、自ら妻子を連れて西山に出奔し、丁零の残党を糾合して龍城を狙う動きを見せた。
- 動揺した慕容宝は高陽王隆・慕容農と相談し、中山を放棄して龍城へ北走することを決断。隆は反対の意も示したが最終的に従った。
- 夜、慕容宝は太子策・長楽王盛らと共に中山を脱出。幼い慕容垂の遺児たちも隆に護られて同行した。
- 主のいなくなった中山では、東門の守兵が魏軍の入城を拒み抗戦を続けた。魏主珪は攻めあぐね、城の実際の統率者が開封公慕容詳(慕容青の弟)であることを知る。中山は陥落せずに残った。
評語
- 回末の詩は、都を捨てて逃げた慕容宝に対し、城を守り抜いた一族の方がむしろ名誉であると詠む。
- 評語は、慕容宝が喜怒定まらず内も外も治められなかったこと、魏主拓跋珪もたびたび不覚を取ったが燕側の内紛と将の弱腰が敗因であること、慕容農・慕容隆も忠臣でありながら趙王麟を抑えられず主君を正せなかったことを、後燕衰亡の因として論じている。