兩晉演義第三十一回 晋王司馬睿は尊号を称し皇統を嗣ぎ、漢主劉聡は鬼を見て亡くなる (晉王睿稱尊嗣統 漢主聰見鬼亡身)
元帝睿の即位
- 愍帝死去の報が建康に届き、紀瞻ら百官が上表して晋王睿に即位を勧める。睿は徘徊するも紀瞻に押されて即位に傾く。
- 奉朝請周嵩が「先に国讎を雪ぐべき」と諫止する箋を上げ、睿は動揺するが、王導が「衆議に従うべき」と説き、睿はついに法服を着け郊祀を経て皇帝位に就く(東晋元帝)。即位に際し王導へ御床を共にするよう勧めるが、王導は固辞する。
治世初動と太子紹
- 「五馬渡江、一馬化龍」の童謡が的中したことが語られる。太興と改元。
- 太子紹の聡明さの逸話(「長安と日、どちらが近いか」の問答)、庾亮との親交、韓非の書を退けた寛簡の姿勢などが紹介される。
- 瑯琊王裒が祖逖の北伐(張平・樊雅・桓宣らをめぐる攻防)を支援するも早世。沖・晞の封王、周嵩の左遷など人事が続く。
劉琨の非業の死
- 段匹磾との盟約の経緯を振り返る。匹磾従弟末抷が石勒に通じ、匹磾兄の喪に乗じて挙兵、劉琨の子・群が末抷に捕らえられ内応を強要される密書事件が起きるが、匹磾・琨は互いの誠意を確認し和解する。
- しかし匹磾の弟叔軍の讒言により琨は留め置かれ、小城にいた琨の子・遵らも陥落し捕らわれる。琨は死を覚悟し、盧諶に贈った詩(不遇への嘆きと古人への憧憬を詠う長詩、要旨のみ)を残す。
- 闢閭嵩らの琨救出計画が発覚して処刑され、さらに王敦が匹磾に琨誅殺を教唆したとされる。匹磾は偽の詔を用いて琨とその子侄四人を絞殺する。元帝は匹磾を憚り、琨のために哀悼の儀も行わなかった。温嶠の北帰嘆願も許されない。
周辺諸勢力の動静
- 涼州牧張寔は建興の年号を用い続け、形式上は晋に服属しつつ実質は自立の道を進む。
- 姚弋仲(後の後秦の萌芽)、氐の楊難敵、代の鬱律、慕容廆の庶兄吐谷渾の西遷など、諸勢力の消長がまとめて語られる。
漢主劉聰の乱行と最期
- 聰の淫乱・奢侈が続き、次子敷の諫死、殿舎の火災による皇孫多数の焼死などの凶事が重なる。
- 中常侍王沈の養女を皇后に立てようとする件で、王鑒・崔懿之・曹恂らが諫言するが、聰は激怒して三人を処刑する。
- 聰は病床で亡き子の幻影に怯え、太子粲に後事を託して崩御する(在位九年、諡は昭武皇帝)。(詩:悪行の報いを詠う)
評語
- 紀瞻の勧進と周嵩の諫止はともに理があるとしつつ、その後の睿に北伐の意欲がなかったことから周嵩の主張の方が正論であったと評す。劉聰の悪行が生前に報われなかったことについて、報いが遅いほど禍は大きいと戒める。