兩晉演義第二十五回 書を送り母に帰るも狼心を化し難く、酒を行いて奴となり終に鴆毒に遭う (貽書歸母難化狼心 行酒為奴終遭鴆毒)
石勒の苦境と張賓の献策
石勒は葛陂に駐屯して建業攻略を狙うが、長雨と疫病、食糧欠乏で兵の半数を失う。右長史の刁膺は東晋への降伏を進言するが、部将の孔萇らは猛反発し抗戦を主張。石勒は孔萇らを賞する一方、謀臣の張賓に意見を求める。張賓は「晋室に深い罪を犯した以上、いまさら和睦は通らない。長雨は北への転進を促す天意」と説き、鄴の西の襄国を根拠地として河北を経営すべきだと進言。石勒はこれを容れ、刁膺を降格し張賓を左長史・右侯に抜擢する。
石虎の敗走と黄河渡河
先発した石虎は輸送船を狙って伏兵にかかり敗走。石勒本隊は北上するが道中は清野作戦で食料が尽き、兵は人を食らうほどに困窮する。汲郡太守の向冰の軍船を奪う必要に迫られた際、張賓の策で夜襲により船を奪取し、石勒軍は無事に黄河を渡る。
鄴攻めから襄国占拠へ
向冰を破った石勒は鄴に迫るが、張賓は「鄴の三台は堅固で攻めるに値せず、真の敵は王浚・劉琨。要地を確保し兵糧を蓄えるべき」と進言し、襄国を都とすることを勧める。石勒は無防備の襄国城をあっさり占拠し、周辺の郡県を平定して漢主劉聰から冀州牧・上黨公に封じられる。
石勒母との再会と劉琨の勧降状
かつて生き別れた石勒の母・王氏を、并州刺史の劉琨が保護しており、使者張儒に伴わせて石勒のもとへ送り届ける。母子は感涙の再会を果たす。劉琨は張儒を通じて長文の書状を送り、石勒に対し漢を離れて晋に帰順するよう説く。石勒はこれを一笑に付し、素っ気ない返書のみを送り返す。
劉琨、令狐盛誅殺と晋陽陥落
劉琨は寵臣の徐潤を重用し、諫言した護軍の令狐盛を讒言により殺してしまう。母に厳しく叱責されるが徐潤を除けずにいた。令狐盛の子・泥は漢に亡命して復讐を訴え、劉聰はこれを向導として河内王粲・中山王劉曜に并州侵攻を命じる。劉琨は諸方への対応に追われて手薄になった晋陽を守れず、城は開門して漢軍を迎え入れ、劉琨の父母は殺害される。
猗盧の援軍と晋陽奪還
劉琨は代公猗盧に急使を送って援軍を求める。猗盧配下の代軍は劉曜軍を撃破し、曜は深手を負って落馬、部下の傅虎が身代わりとなって戦死する。劉琨・猗盧の連合軍は藍谷で漢軍を大破し劉豊を捕らえて斬る。猗盧は深追いを避けて撤兵し、劉琨は父母の遺骸を弔い、荒廃した晋陽から陽曲へ拠点を移して再起を図る。
関中の再興と愍帝擁立
関中では賈疋・索綝らが挙兵して劉曜を長安から追い出し、秦王司馬業を皇太子として長安に迎え行台を樹立する。閻鼎が実権を握り、賈疋・南陽王保・瑯琊王睿らに官位が与えられる。この時点で懐帝拉致からすでに一年、中原には共主なく、なお永嘉の年号を用い続けていた。
懐帝、平陽での屈辱と最期
拉致された懐帝は平陽で劉聰に俘囚として謁見させられ、平阿公に落とされて屈辱の生活を送る。劉聰は単太后を寵愛したが太弟劉乂の諫言により両者の仲は険悪化し、太后の死後、劉聰の皇后呼延氏の讒言もあって劉乂廃立の陰謀が進む(結着は後日に持ち越し)。劉聰は皇后の死後、多くの美女を後宮に入れ、劉殷の娘・孫娘まで召し入れて溺れる。ある宴席で劉聰は懐帝に昔日の交誼を語りかけ、酒席で小劉貴人を懐帝の妻として下賜する屈辱を与える。新年の宴では懐帝に青衣を着せて酌をさせ、恥辱のあまり涙する懐帝を見て劉聰は激怒し退席させる。やがて懐帝が旧臣と謀反を企てたとの讒言を受け、劉聰は毒酒を送って懐帝を殺害、在位四年余・虜囚一年余、享年三十で崩じた。(詩:青衣で酌をする天子の悲運を悼み、いっそ早く命を絶っていればとの嘆き)
評語
本回は石勒・劉琨・劉曜・猗盧と人物が次々に絡み合う複雑な事件を、一筋の糸で結んで語ることに眼目がある。後半は関中の秦王擁立から懐帝の悲劇へと自然に転じ、青衣で酌をする屈辱の場面で締めくくる構成に、作者の周到な筆致がうかがえるとする。