兩晉演義第二十二回 内乱に乗じ劉聡が国を拠有し、外援を借り猗盧が封を受ける (乘內亂劉聰據國 借外援猗盧受封)

洛陽攻防、劉聰いったん退く

  • 劉聡は劉曜・劉景・王彌・呼延翼らと共に再び洛陽に迫った。涼州の北宮純が夜襲をかけ、呼延顥を討ち取るなど漢軍を大いに苦しめた。
  • 呼延翼が部下に殺され軍が潰乱したため劉淵は撤退を命じたが、劉聡は強気に留まって攻城を続行。四方から洛陽を攻めるも落とせず、山に禱りに出た隙を太傅越軍に突かれて敗退した。
  • 王彌の計らいで劉聡はいったん兵を退き、洛陽包囲は解かれた。

石勒の進撃と河内の攻防

  • 石勒は劉霊と共に常山方面を攻めたが、幽州の祁弘・鮮卑務勿塵らに敗れ、劉霊は討ち死にした。石勒は立て直して信都・白馬・鄄城などを陥落させ、兗州刺史袁孚を殺害。王弥とも合流して勢力を広げた。
  • 河内太守裴整は敗れて漢に降り、劉琨配下の郭默が塢主として河内を支えた。

劉淵の死と後継争いの伏線

  • 劉淵は氐の単征の娘を新皇后に迎え寵愛し、その子・乂を北海王とした。病篤くなった劉淵は劉歓楽・劉洋・劉延年らに太子・和の輔佐を託して崩じた(在位帝位3年)。
  • 太子・和は劉乗・劉鋭らの讒言を信じ、聡・裕・隆・乂の四王を除こうとするが、劉盛が諫死するなど混乱の末にクーデターは失敗。
  • 逆に楚王聡が反撃し、和・鋭・攸・乗らを討ち取る。聡は一旦弟の乂に位を譲る姿勢を見せたが、乂と群臣の要請を受け即位(光興と改元)。

劉聡の即位と単太后との密通

  • 劉聡は単太后(乂の生母)に密かに横恋慕し、ついに母子相姦の関係に及んだ。この醜聞は宮中に広まり、北海王乂は深く恥辱と憤りを覚えた。
  • 蒲洪(苻秦の祖)が略陽で台頭し、漢から平遠将軍を打診されるも拒否し自立の道を選んだ。
  • 雍州の流民・王如が南陽で反乱を起こし漢に帰順。劉聡は石勒に并州刺史を命じ河北平定を進めさせた。

劉琨と拓跋猗盧の同盟

  • 并州刺史劉琨は孤立を恐れ、鮮卑の拓跋猗盧に大単于・代公の称号を朝廷から得させ同盟した。拓跋氏の出自(詰汾と天女の伝説、力微・猗㐌・猗盧の系譜)が語られる。
  • 猗盧は劉琨のために鉄弗氏を討つなど協力し、代郡の地を巡る紛争を経て、陘北の地を劉琨から譲られ拓跋氏の勢力基盤となった。
  • 劉聡は河内王粲・始安王曜・王弥に石勒を合わせ再び洛陽を攻めさせた。劉琨は猗盧と共に出兵しようとしたが、太傅越がこれを謝絶し、援軍は実現しなかった。

評語

劉淵は父祖の恨みを晴らそうと洛陽を窺ったが、その死後まもなく骨肉相争う内乱が起きた点は、司馬氏の内乱と軌を一にする。劉聡は母后を汚す悖徳の上に父の遺業に頼って南進しており、晋の混乱に乗じて勢力を伸ばしたにすぎない。劉琨が猗盧を引き入れたのは夷を以て夷を制する策であったが、太傅越がこれを謝絶したことで晋は自ら滅亡を早めた。