遼史卷一百十二 列傳第四十二 重元
皇太叔から反乱への道
重元、小字は博齊希。聖宗の次子で、勇武に優れ眉目秀麗、寡黙で人が畏れるほどであった。太平三年、秦国王に封じられた。聖宗崩御後、欽哀皇后が摂政となった際、密かに重元を立てようと謀ったが、重元はその謀を帝に告げたため帝はますます重んじ、皇太弟に封じた。北院枢密使・南京留守・知元帥府事を歴任し、軍事の任にありながら都を離れることはなかった。以前、契丹人が法を犯すと漢人と同様に取り調べを受け冤罪を被る者が多かったため、重元は五京に契丹警巡使を置くことを奏請し詔許された。金券と誓書を賜った。道宗即位後、皇太叔に冊立され、拝礼せず名を呼ばれない特権を得、天下兵馬大元帥となり、さらに金券や四頂の帽子・二色の袍を賜り、その尊寵はかつてないものであった。清寧九年、車駕が灤水で狩猟した際、子の尼嚕古が同党の陳国王辰類や知北院枢密事蕭呼都克ら四百余人とともに謀を企て、努手軍を煽動して帷宮の外に陣を布き戦おうとしたが、その党の多くが後悔して帰順したため崩れた。重元は計画の失敗を知ると北へ逃れ、大漠で「尼嚕古が私をこんな目に遭わせた」と嘆いて自殺した。乱を起こす前、帳の前に赤い雨が降り血のようであったため、識者はこれを敗亡の兆しと見た。子は尼嚕古。