遼史卷一百十二 列傳第四十二 尼嚕古
尼嚕古(重元の子)
尼嚕古、小字は伊囉斡。性は陰険で、興宗は一目見て「この子の目には反相がある」と語った。重熙十一年、安定郡王に封じられ、十七年、王に進み楚国王として特哩衮となった。清寧二年、武定軍節度使に出され、七年、知南院枢密使事となり、父重元に仮病を使わせて車駕が見舞いに来る隙に弑逆を実行するよう説いた。九年秋の狩猟の際、帝は耶律良の計を用い人を遣わして尼嚕古を急ぎ召したが、尼嚕古は事が漏れたと知り急遽兵を擁して行宮を襲った。南院枢密使許王仁先らが宿衛の兵を率いてこれを討ち、尼嚕古は馬を躍らせて突出したところを近侍詳衮の渤海人アスと護衛のスに射殺された。