遼史卷一百十一 列傳第四十一 蕭額哩頁

累進と伊遜への加担

蕭額哩頁、字は額圖琿。国舅阿拉の次子で、口が達者で滑稽、女工にも巧みであった。重熙年間、外戚として進み、清寧初め祗候郎君に補され、鄭国公主を娶り駙馬都尉に拝され、南面林牙に累進した。父の阿拉が蕭格の讒言に遭って出された際、額哩頁も奉先軍節度使に出された。十年冬、召されて北面林牙となった。咸雍中、額哩頁が一族の珠展とともに耶律伊遜殺害を企てたとの告発があったが取り調べても証拠がなく寧遠軍節度使に出された。それ以後、額哩頁は伊遜の意を察して心を傾けて仕え、国舅詳衮に推薦された。太康初め遼西郡王に封じられた。伊遜が専横を極め従わない者を追い出していた頃、額哩頁を引き立てて北府宰相兼知契丹行宮都部署事とした。伊遜が皇太子を陥れる謀に及んだ際、額哩頁の助けが多くあり、ついに知北院枢密事となり「推誠協賛功臣」の号を賜った。姪を伊遜の子の蘇頁に嫁がせ、勢いに乗じて横暴を極め、君を無視するような発言まであり朝野の顰蹙を買った。帝が伊遜を南院大王事に落とすと、伊遜の党として天平軍節度使に出され邸に帰された。まもなく西北路招討使に拝されたが、母の喪により官を退き没した。