遼史卷一百六 列傳第三十六 蕭普爾布

出自と経歴

  • 蕭普爾布は字を綏蘭といい、魏國王惠の四世孫。父母を早くに失い、祖父の烏爾古納に育てられた。性は孝悌で、十三歳のとき烏爾古納が卒すると、早くに父母を失いさらに祖父の喪に遭ったことを、礼を超えるほど哀毀した。族里はこれを嘉歎した。
  • かつて人に「私は親に対して最後まで孝養を尽くせなかった、誰が私を教え導いてくれようか。もし自ら励まなければどうして育ての恩に報いられようか」と語ったという。これより学に力を注ぎ、文藝は精通しないものがなかった。
  • 乾統年間、烏爾古納の縁により召されたが応じず、親しい者と山水に遊猟した。奉養に贅沢な物はなく、僕隷も欣欣として仕えた。ある者が「公はどうして先世の功名を継ぐことを念じないのですか」と問うと、「自ら考えるに先業を継ぐには足らず、年齢もすでに壮年を超えている、どうして主君を益し民を庇うことができようか」と答えた。
  • しばしば徴されたが皆病を理由に辞退した。晩年は人事を謝絶し瑪古山に居を定め、葷茹(肉食・生臭物)を遠ざけ仏書に専心し、有道の者を招いて終日談論した。人がその得たところを問うと、ただ「深い楽しみがある、六鑿(六根)が相い乱れないのを感じるだけで、他は知る由もない」と答えた。ある日、服を替えて病もなく逝去した。

史論

  • 論じて言う。隠は決して容易なことではないが、また軽々しく人に与えるべきものでもない。扎拉は職を辞して時務を語らず、官努は二度節鎮を辞し、普爾布は召されても赴かなかった。いまだ隠と称するには足らないとしても、当時にあって内外の分を知り肥遯(世を避け隠棲すること)に甘んじたことは、富貴利達を求めて妻妾に恥じられる者よりましではないか。ゆえに卓行と称してよいであろう。