遼史卷一百五 列傳第三十五 耶律都勒斡

出自と経歴

  • 耶律都勒斡は字を伊實といい、季父房の後裔。廉約で義を重んじた。重熙末、給事誥勅院となり、咸雍中同知南京留守事に累進した。召された際、部民が懇ろに留任を願い、詔により褒奬を賜った。
  • 太康初め西南面招討使に改まり、北面林牙となり、左伊勒希巴に遷った。大安中南府宰相を拝し、壽隆初め致仕し卒した。都勒斡は至る所で名声を得て吏民に畏愛された。
  • 郷里に退居する際、子の布庫は烏爾古部節度使として人を遣わして迎えに来させたが、着任すると財が非常に富んでいるのを見て子に「親を辞し仕えては、国を裕にし民を安んじることを事とすべきだ。道を枉げ君を欺いて財利を苟くも求めることは私の志ではない」と言い、車を命じて帰った。布庫は後に盗に殺された。