遼史卷一百四 列傳第三十四 劉輝

出自と経歴

  • 劉輝は学を好み文をよくし、疏簡で遠略があった。太康五年進士に及第し、大安末太子洗馬となった。
  • 上書して「西辺の諸畨が患いとなり、士卒は遠く戍り中国の民は輸送に疲弊しています。これは長久の策ではありません。今の務めとしては、鹽濼に城を築いて漢戸を実らせ、耕田・聚糧して西北の費用に充てるのが最善です」と述べたが、言は行われなかったものの識者はこれを是とした。
  • 壽隆二年、再び上書して「宋の欧陽脩が編纂した五代史は我が朝を四夷に附し妄りに貶訾を加えています。しかも宋人は我が朝の寛大さに頼り和好を通じ兄弟の礼を尽くすことができているのに、今かえって臣下に妄りに史を作らせながら意に介していません。臣は趙氏(宋)の起こった当初の事跡を国史に詳しく附すべきだと請います」と述べ、上はその言を嘉した。
  • 禮部郎中に遷り、詔により賢良の対策を求められた際、輝の言は多く時勢に中った。史館修撰に擢されて卒した。