遼史卷九十六 列傳第二十六 耶律阿蘇

耶律阿蘇

  • 耶律阿蘇、字は薩巴。清寧初め、祗候郎君に補され善射をもって獵事を掌り、渤海近侍詳衮に進んだ。重元の乱の際、護衛蘇と共に尼魯古を射殺し靖乱功臣の号を賜り、契丹行宮都部署に徙った。大安初め、北院大王となり漆水郡王に封ぜられた。
  • 寿隆初め、北院樞密使となり監修国史を兼ねた。道宗崩御に及び顧命を受け裕悦を加えられ、伊遜の党人の罪重き者を録して家を籍すべきとされたが、阿蘇は賂を受けて多く寛貰した。蕭赫嚕はかつて辺備を修めるべきと言ったが、阿蘇は力めてその事を沮み、あるいは「金をもって国を売った」と譏る者もあった。
  • 後、風疾により失音し致仕し尚父を加えられ趙王に封ぜられ、薨じた。年80。齊国王を追封された。

史論

  • 論じて言う。灤河の変で重元は兵を擁して行幄に迫った。仁先らが微かったならば道宗は危うかったであろう。北南院に幸そうとするのを止め、蕭塔喇の兵を召して大難を靖めた功は当に首に居るべきである。良は反謀を太后に白し、罕嘉努は逆順をもって奚人を降し、徳と阿蘇は尼嚕古を殺し、皆討賊の力があった。仁先は休格と名を斉しくし勲徳ともに備わった、これはその一節であろうか。