遼史卷九十六 列傳第二十六 蕭罕嘉努

蕭罕嘉努

  • 蕭罕嘉努、字は固寧。奚長布倫の後で孝友をもって称された。太平中、祗候郎君に補され、たびたび昇進して敦睦宮使となった。夏を伐つ際、左翼都監となり北面林牙に遷り、間もなく南院副部署となり玉帯を賜り奚六部大王に改まり治は声望があった。
  • 清寧初め、韓国公に封ぜられ、南京統軍使・北院宣徽使を歴任し蘭陵郡王に封ぜられた。清寧9年(1063年)、上が太子山に狩をした際重元の乱を聞き行在に馳せ、帝が倉卒に北南大王院に避けようとすると耶律仁先と共に轡を執って固く諫めこれを止めた。
  • 翌朝、重元は再び奚の猟夫を誘って来ると、罕嘉努は独りで出てこれを諭し「そなたらは順を去って逆に効し徒に族滅を取ろうとしている、過ちを悔いて禍を転じて福とするのに如くはない」と言うと、猟夫は仗を投げて首服した。この功により殿前都点検に遷り荊王に封ぜられ資忠保義奉国竭貞平乱功臣を賜った。
  • 咸雍2年(1066年)、西南面招討使に遷り、太康初め呉王に徙り白海東青鶻を賜った。皇太子が伊遜に搆陥され上京に幽閉されると、罕嘉努は上書して力めてその冤を言ったが報われなかった。太康4年(1078年)、再び西南面招討使となり慣例により王爵の一字を削られ蘭陵王に改まり、薨じた。子楊結は右祗候郎君班詳衮に終わり同中書門下平章事を贈られた。