耶律辰嘉努
- 耶律辰嘉努、字は綿辛。懿祖弟噶拉の八世孫。重熙中、牌印郎君に補されたが直日に至らなかった罪に坐して本班に降された。折しも帝が狩猟する際、辰嘉努が鹿を圍内で追いやり鞭200を加えられた。時に耶律仁先は辰嘉努が健捷で海東青鶻に比すべきと薦め、御盞郎君を授けられた。
- 鷹坊・尚廐・四方館副使を歴任し、図嚕庫皮室詳衮に改まった。折しも太后の生辰に詩を進め馴鹿を献じると太后はこれを嘉奨し珠二琲・雑綵二百段を賜った。兄薩巴が卒した際、辰嘉努は訃を聞いて告げずに去り、帝は怒ってこれを鞭った。
- 清寧初め、たびたび昇進して右伊勒希巴となった。折しも帝が燕国王と鹿を射て共に中り、王は当時9歳であった。帝は悦んで辰嘉努に応制して詩を進めさせ、帝は喜んで衣を解いてこれを賜った。後、皇太子が廃されると帝は辰嘉努が党附するのを疑いこれを罷めた。
- 時に西北諸部が辺を寇すると辰嘉努を烏爾古節度使行軍都監とし甲一・馬二匹を賜り諸部を討たせその酋を送って朝廷に献じた。偵候者が馬蹤を見て賊が到来したと考え、辰嘉努が元帥耶律愛努に報告に遣わせると視て「これは野馬だ」と言った。まさに狩猟に出ようとすると賊が来て愛努は戦歿した。有司は詰案したが辰嘉努は伏せず、詔してこれを釈した。これにより感激して事あるごとに力を竭くした。
- 後、諸部が再び来侵すると辰嘉努は兵を率いて三たび行き皆克ち、辺境は遂に寧んじた。老をもって帰るよう告げたが聴かれず、道宗崩御に及び山陵使となり致仕し、年80で卒した。