遼史卷九十一 列傳第二十一 蕭珠展

蕭珠展

  • 蕭珠展、字は実倫。孝穆の弟果済の子。戚属をもって監門衛上将軍を加えられた。重熙13年(1044年)、衛兵を率いて李元昊を討ち功があり、興聖宮使に遷った。
  • 富珠哩部長托多羅が反乱を起こすと、珠展は統軍都監として都統耶律義先に従いこれを撃ち托多羅を擒えたが、珠展は義先と不協で義先の罪を誣告して官を免ぜられた。次第に西南面招討都監に遷り、事に坐して獄に下されたが太后の言により杖を加えられ釈された。
  • 清寧初め、国舅詳衮・西北路招討使となったが、私に官粟三百斛を取り、代留の畜産を主者に命じて鬻がせ償わせた。後、族弟呼都克が部に到りこの事を発すると帝は怒り大杖を決して官を免じた。間もなく昭徳軍節度使として起用され、召されて北院宣徽使となった。
  • 清寧9年(1063年)、上は珠展がかつて招討として威が諸部に行われていたことをもって再び西北路招討使とし、士卒を訓練し器械を増し追呼を省き号令を厳しくすると、人は敢えて辺境を犯さず晏然となった。清寧10年(1064年)、入朝し栁城郡王に封ぜられた。咸雍2年(1066年)、北府宰相を拝した。
  • 北院樞密使耶律伊遜に忌まれ、珠展が護衛蕭和克らと共に伊遜を害することを謀ったと誣告されたが、詔獄では無状であり、相を罷めて順義軍鎮として出た。卒し、晉王を追封された。宋・梁の三国の姪に藥師努がある。