遼史卷九十 列傳第二十 耶律達魯
耶律達魯
- 耶律達魯、字は陽隠。孟父楚国王の後で、性は質直で膂力があった。察克が乱を作した時、達魯はこれを聞いて夀安王に入見し慷慨して「精兵数百を得て賊党を破ることを願います」と言い、王はその忠を嘉した。
- 穆宗即位に及び北院宣徽使となった。上は飛狐道が狭いことにより詔して達魯にこれを広げさせた。翌年、兵を率いて河東を援け太原に至り漢王と高平で会し、周軍を撃ってこれを敗り、その衆を降した。忻・代の二州が反乱を起こすと兵を率いてこれを討ち、折しも耶律塔喇が至って忻口で周師を敗り、師は還って卒した。
史論
- 論じて言う。忠臣はただ国があることを知って身があることを知らない、ゆえに悪を悪んでその患を避けない。阿拉は諂諛不法をもって蕭格を折り、托輝は用いれば必ず禍を基すことをもって阿蘇を言い、塔喇噶は不義を忍んで行うことをもって徒に自ら赤族の罪を取り察克を責めた。その心はまことに忠と言えよう。しかし言葉が一たび出れば禍がすぐに随った。ああ、邪正が既に弁じられなければ、国はどうして乱れないでいられようか。