耶律韓留
- 耶律韓留、字は索紐。仲父隋国王の後で、明識篤行あり、義挙は厳重、詩を工みとした。統和間、召されて御院通進を摂した。開泰3年(1014年)、次第に烏爾古徳哷勒部都監に遷り詳衮事を知った。徳哷勒が反乱を起こすと宮分軍を将いて樞密使耶律世良に従いこれを平らげ、千牛衛大将軍を加えられた。
- 重熙元年(1032年)、たびたび昇進して同知上京留守に至り、奚六部圖哩太尉に改まった。性は苟合せず、樞密使蕭嘉哩に忌まれ、上が韓留を召用しようとした際、嘉哩は目病があって視ることができないと言い議は寝んだ。
- 重熙4年(1035年)、召されて北面林牙となり、帝は「朕は早くにそなたを用いようと思っていたが、疾があると聞いて今まで待っていた」と言うと、韓留は「臣は昔目疾がありましたが、僅か数月のことで、そこまで昏くなってはいませんでした。しかし臣は駑拙で権貴に事えることができず、それゆえ早くに天顔を見ることができませんでした。陛下の聖察がなければ、愚臣にどうして今日がありましょうか」と対えた。詔して述懐の詩を進めさせ、上は嘉歎して大用しようとしたが卒した。