遼史卷八十八 列傳第十八 大康乂
大康乂
- 大康乂、渤海人。開泰間、たびたび官を歴て南府宰相となり、黄龍府知として出て東部の懐服を善く綏撫した。額爾徳尼部長布延はイ勒必と共に来附し朝廷に送られ、博囉滿達勒の境に渤海人が多いことを言い、これを取るよう乞い、詔して従わせた。康乂は兵を領して大石河図卜凖城に至り数百戸を掠めて帰り、間もなく卒した。
史論
- 論じて言う。高句麗がその君誦を弑して詢を立て、遼が興って罪を問う師を発したのは、当然、簞食壺漿をもって迎え除舎して待つべきものであった。しかし険に乗じて拒み続け、智者にその謀を尽くさせ勇者にその力を窮めさせ、要領を得たとはいえ孤立して海の中に一居し従前どおりであった。人を服させるのは徳によるのであって力によるのではないのだろうか。まして宮室を殘毀しその民人を係累することは、いわゆる「燕をもって燕を伐つ」に等しいのではないか。嗚呼、朱崖を棄捐した力のようなものであり、迪里の諫めにはそれがある。